私の人生の主導権は「わたし」なのです。
人生のハンドルは私が握る![]()
しっかり握っていてね![]()
そして、行きたいところへ行こう![]()
いつだって、行きたいところへ行けるから。
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他人の言動に反応してしまうのは・・・。
反応してしまう部分を自分も持っているから。
そして、そこにフォーカスしているから。
なのです。
もっと細かくいうと、
実際に言われたことやされたこと、ではなくて
そこに向けられた、
「エネルギー」
に反応しているのではないかと私は思うのです。
例えば・・・、
自分の運転する車の前に突然割り込みされて、
イラっとした場合・・・。
割り込みされた、ことにイラっとしているのではなく、
割り込みした時に発せられた
エネルギー(気持ち、思い)に
反応している、ということ。
おそらく、自分の前に割り込みするすべての車にイラっとするわけではなくて、
たまたまその車が車間の詰まっている状態で無理やり入ってきたとか、
自分がちょっと急ぎ気味だった時とか、
その時に、相手が出したエネルギーに反応しているのではないかと思います。
とても安全運転で、車間も十分に空いている状態で割り込まれたら
そんなにイラっとしないでしょ。(する人もいるかもしれないけど・・・
)
まぁ、そういう場合は「割り込み」という表現もしないと思いますが・・・。
もうひとつ例をあげると、
待ち合わせに遅刻をしてきた人がいて、待たされてちょっとイラっとしていた場合。
直接「遅刻した」という行為にイラっとしているわけではなくて、
そのあとのその人の言動にイラっとしているのでは・・・。
軽々しく、「ごめーん
」みたいな謝り方だった、とか、
すごい言い訳された・・・とか、
あまり申し訳ない感じが相手にはなかった・・・とか。
これもたぶん、「本当に遅れてごめんね・・・
」
と、相手が申し訳なさそうに謝っていたのなら
こちらの反応も違うのではないかと思います。
これも、エネルギー(気持ち、思い)ですね。
私たちは、実際に行なっている「行動」に反応しているのではなく、
その時に相手から感じた「エネルギー」に反応しているのではないかと思います。
相手から感じた「エネルギー」に違和感、という反応を示したのなら、
あなた自身が、そのエネルギーはあなたにとって間違っていますよ、と知らせてくれているのです。
違和感を感じた「エネルギー」を相手に出すと、
自分(相手)が不快に感じる、のです。
違和感を感じることが、ダメなわけでもないし、
相手が行なった行動が悪い、わけでもないんだけど、
「違和感」として自分が感じているのなら、
自分はそれを、やらない
と決めること。
相手は、「鏡」の存在だから。
自分という人間を知るために、
相手を使って、映し出してくれているのです。
自分がより、理想的な「わたし」になるために、
相手が教えてくれている・・・ということなのです。
だから、嫌いな人は
自分がよりよくなるための、
「大先生
」なのです![]()
そこまで、わかったらあとは・・・、
「わたしはどうしたいのか・・・」
「わたしは、どんな人になりたいのか・・・」
ということが相手を通してわかってくるのです。
相手やできごとに振り回されないで・・・![]()
うまく、使っていこう![]()
相手は、「自分の中」を映してくれる
「鏡」だから。
拡大鏡でも、歪んで見える「鏡」でもなく、
素直に映し出してくれる、「鏡」だよ![]()
「鏡」に映った自分が”笑う”には、
まずは、自分が笑わないとね・・・![]()
自分が笑ったら、鏡の向こうの自分も笑うから・・・![]()
送り盆の今日は、
自分にじっくり向き合う日。
「内観」するのも、いいね![]()
今日もすてきな一日をお過ごしくださいませ![]()
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