療育のカラクリ | polarisと自閉症児とおデブなぼく

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不妊治療、体外受精、年子兄弟誕生、兄は自閉症、軽度三角頭蓋、弟もアスペルガー症候群気味、軽度三角頭蓋


先日
療育で
中間評価
でした

前期の面談で
目標設定したときに
関わり手(親)の
目標設定も
しました

それに
ついても
評価されると思い
ソワソワドキドキ
してました

評価を
ざっくりいうと

関わり手が上手になってきているから
これからも頑張ってもらって
駿太が
スムーズに動けるように
していきましょう

との事でした

自分に自信がない私は
それすら
素直に喜べません

はぁ

療育の先生
いわく

「見る」
「やらない」
ではなく

椅子に座って
ここから動かないで見るとか
ルールを守った上で見るに
関しては
「やる」に
入れているそうです

けど
それを毎週続けられると
親は何しに療育来てるんだー
って発狂したくなりますよね

だから
「やる」から「みる」の間を
段階踏んで
(少しづつレベルを上げて)
促していきましょう
との事

そこで
全部やらなくても
最後の一回はやろう」
促してみるものの

最近は
それすら嫌だといいます

ならば
徐々にレベルを下げて
「最後の一回」と「みる」の間を
促す

ってなるそうです
ガーン

難しい
滝汗

例えば
抱っこしてやる
おんぶしてやる

自分でやらなくていいけど
雰囲気は味わおう
大作戦とか

20kgあるから
抱っこはつかれるし

やっぱり
自分でやってほしい
ってなれば

最後の一回の全部
やらなくていいから
10秒だけやろう
3秒だけやろう
ここからここまでやろう
見たいに

徐々に
レベルを下げるんだそうです

それで
どんなにレベルを下げても
例え
ルールを設定した「みる」しか
できなくても

盛大に褒めつつ
次回への意気込みをお話する

逆に
ルールを設定した「みる」も
拒否をし
ルールを設定した「みる」から
「やらない」の間を
促して

親の膝の上でみるでも
パニックにならずにいられたり

どうしてやりたくないのか
自分の気持ちを言葉で伝えられたり
などなど

できたら
褒めるってよりも
認めてあげつつ
親の気持ちを伝える

すごいね〜見れたね
パニックにならないで偉かったね
今度は一人で椅子に座ってみれるといいね

すごいじゃん
だからやりたくないんだね
また◯◯の気持ちをママに教えてね

次回の時までに
対策を考えて

◯◯は◯◯だから
これをやりたくないんだよね
だったら
これをこうして見たらどうかな?

とか

これ
大事

そこで怒ったり
貶したりすると
子どもは
どんどん自信を失っていく
同時に

少しの
努力さえしなくなると思う

親に認められると
もっともーっと
認められたいし
親の期待にこたえようと
褒められたいから
頑張れる

子どもの意力を出すのも
関わり手(親や先生)次第
って事でしょうか

療育自体も
全てレベルを下げて日課などを
設定しているそうです

できた喜びを
大事にするために

こんな簡単なことでも
やったら
盛大に褒められた

僕って
すごいんだ

自分に自信がつく

そういう
カラクリのもとに
成り立ってるとの事

だから
自分に自信がない
小心者でビビりの駿太みたいな子には
療育はぴったり

でも
プライドが高くて
こんなことできて当たり前だし
それで褒められても
素直に喜べない子は
療育にあっていないのかも

どんどん
上を設定して
伸びていく子だって
いるだろうし

そこが
療育との相性に
なっていくのかな

療育に通ってる子は
ほんの一部であって

本来は
上記を
家庭でやるものなんですよね

でも
母親だって
わからないし
教えてくれる場所もないから
手探り状態

障害児になると
もっと
わからない

だから
療育というものは
母子通園なのかなと

親が一緒に
いく意味を
改めて
理解したように思います