ルージュの眩しい薔薇の花です。
1970年にイギリスで作出されたジョン ウォータラーと名付けられた品種です。
王道の赤い薔薇の中ではやや形状が謙虚な印象です。
標題の件ですが、昔常識とされていた風習や教育法が、今は全く異なる方針をとっていることが珍しくないと思います。
有名な例を挙げると、スポーツの練習中に水分補給をしてはならないという指導法が主流だった時代も有りましたが、或る時期を境に熱中症を懸念して積極的に水分補給をするよう推奨されるようになりました。
クラシックバレエに於いても、先天的に甲が高い足がよしとされていた時代も有ったようですが、今ではそうとも限らないと言われています。
ピアノの奏法についても、昭和時代から平成初期にかけて主流であった卵型のフォームは今では否定されつつあるようです。
即ち、自分が幼少期に教わった事が絶対だとは限らないと云う事です。
理学的知見に基づき、常に最適な方法を考案し、普及されている情報を収集し、選択する能力が問われることを痛感しています。
【本日のピアノの練習について】
・バッハ インベンション第1番
・バッハ インベンション第2番
・バッハ インベンション第9番
・バッハ インベンション第4番 (暗譜済)
・バッハ インベンション第7番 (暗譜済)
・バッハ インベンション第8番 (暗譜済)
・バッハ シンフォニア第11番
・ショパン ノクターン第20番(遺作)(暗譜済)
・ショパン 幻想即興曲(暗譜済)
・ショパン エチュードOp.10-12(革命)(暗譜済)
・ショパン エチュードOp.10-4(暗譜済)
・ショパン バラード第1番
・その他(スケール、アルペジオ、その他)
◆基礎練習について
今月から、ハノン1~30番についてはほぼ着手していません。
スケール、アルペジオ、半音階についてはハノン記載通り練習することが多いのですが、バッハのインベンションを装飾音無しで練習し、その後装飾音を付けるなど、様々な方法を試しています。
保持音の練習などは、「その他」の括りに入れています。
必要性を感じた場合、ハノン1~30番についても再着手予定です。
◆好みと適性との不一致について
以前も二度にわたり記載しておりますが、
昨年2020年11月28日時点に於いて、私は自分自身の記事内にて、
「自分の気があまり進まずとりあえず着た服が意外に似合っていた事や、自分が好き好んで選んだ服が実用性に欠けていてあまり着用する機会が無かったりするように、自分の好みと合う曲との関係は相性の問題も有るのだとつくづく痛感します。」
と記載し、
2021年6月21日、上記引用文について、
「趣味として独学でピアノに取り組む場合、選曲から自分で行うのが当然の流れです。
この選曲の理由は何に基づいているか。
私の場合は、自分が好きな曲を自由奔放に選んでいます。」
「私は、永遠に楽譜通りに弾けるようにならない曲を潜在的に選び取っているのかもしれません。」
「ピアノの場合、「食」とは異なり、私の生命体を維持する為に必要な行為ではないのですが、「食」と深く関連しているのではないかと考える事がしばしば有ります。」
」
と記しています。
更に、今年2021年8月12日、
「憧れを現実にするだけでなく、現実の方が憧れを超えてしまった場合、過去の自分を否定する事に繋がるのではないか。
私は、現実が憧れを超えてしまった場合、達成感、満足感よりも、失望の方が大きくなると思います。
あの頃、漠然と抱いていた憧れを超えない完成度であれば、ずっと夢を見ていられる気がするのですが、それでは自分が納得できず、既習の曲に取り組む時とは異なる「自分との闘い」に挑んでいます。
「過不足ない及第点」でなければ自分自身が納得できない。
自分が抱いた理想に達していなければ、対象を自分のものにしようと努力し続ける。
自分が抱いた理想を超えると、対象が大したものではなかったのだと失望する。」
と記し、
「私は、永遠に楽譜通りに弾けるようにならない曲を潜在的に選び取っているのかもしれません。」
と云う約2ヶ月前に記載した内容と重複することを詳しく述べています。
以前から、
「趣味は絶対に完成することがないからこそ楽しいものだ」
「他人と比較する概念が一切無いから他責にすることがなく、偶然性の要素も無く、自分の努力が正当に報われるからピアノを趣味にしたいと思った。」
との旨も述べています。
プロフィールの欄に常に記載しているショパンのスケルツォ第1番にはいつ到達できるのか判りませんが、「現実的な憧れ」を抱くことができるから趣味を続けられるのではないかと思います。
24歳の頃、
「10代の頃、友人になりたいと思った人に話しかけて実際に友人になった喜び、達成感、あの感動は、この先ノーベル賞を獲ったとしても換えられないもので、この先どんな偉大な事を成し遂げたとしても、どんな不幸が訪れようとも、あの時に勝る感情の振れ幅には到底及ばないだろう。もう私はあの頃望んでいた全てを手に入れてしまったから、何かが手に入らずもどかしい気持ちが全くない。あの頃の感覚はもう戻らないと確信している」
と日記に綴っています。
この24歳の頃と今の想いが全く変わらない事に驚いています。
結局そう云う事なのです。
昔は昔、今は今、とは言え、幼少期から多感な時期にかけて得た自己肯定感は絶対的なもので、一生の財産だと思います。
これが負の方向に働くと、昔受けた教育から誤った概念を産み出したり、場合によっては他人を羨むあまり傷付ける結果になってしまいます。
以前、HKT48の指原莉乃さんが、
「芸能界に入る前、後藤真希さんに憧れていたから、今、自分の写真集の方が売り上げが上になっても、未だにあの頃の後藤真希さんへの憧れの想いが消えない」
との旨、発言しているのを耳にした時、胸を突かれたかのように納得しました。
昔抱いた淡い憧れであるショパンの数々の楽曲に少しでも近付くために、今はピアノを趣味としています。