気まぐれで練習を始めたショパンのノクターン第20番が意外に調子良いらしく、周囲の人からショパンエチュードOp.10-4よりノクターンの方が私のイメージに合っていると言われたのですが、それは相対的にEtude Op.10-4に問題が有り過ぎるだけの話では無いかと思い、Op.10-4の壁に日々悩まされております。
結局、基礎力の強化を図る為の時間を要する事は理解しつつも、目に見える結果を急ぐ私の気が早く、辛抱強く待つ事が肝要なのだと再認識しました。
好みと適性とは必ずしも一致しない事について認識としては私の中に有りましたが、このままではOp.10-4と英雄ポロネーズに永遠に実を結ぶ事の無い片想いを続けているようで切なくなります。
よく考えてみたら、簡単に出来そうにないから練習している訳で、容易く成し遂げてしまう事であれば着手する事すらしていない訳で、その相反する矛盾が自分の中に同居していてあれこれ思いを馳せる事になる訳です。
好きな曲でなければ練習が続かない、しかし、好きな曲は仕上がりが果てしなく遠くに存在する…。
この現実に直面している訳です。
「適当な仕上がり」で構わなければ、もうとっくに仕上がったと言えるのですが、それでは私が納得しないのが難しい処。
「なんとなく」ではその曲では無い訳で…。
自分の気があまり進まずとりあえず着た服が意外に似合っていた事や、自分が好き好んで選んだ服が実用性に欠けていてあまり着用する機会が無かったりするように、自分の好みと合う曲との関係は相性の問題も有るのだとつくづく痛感します。
Op.10-4に関して言えば、メトロノーム無しでは中間部からテンポが速くなりすぎるので、テンポをキープする為の何らかの対策を取る必要が有る事が一番の課題です。
メトロノームについて、「四分音符=」で計るのが一般的なようですが、「八分音符=」でまず計ってから練習に取り組むのが丁度良いのではないかと思います。細かく計測し過ぎると単なる機械演奏になってしまいがちですが、この点をいい加減に済ませると後々やり直しに手間取るので、私の場合、最初は慎重過ぎるぐらいが丁度良いと今までの傾向を考えて思います。
今更ですが、ショパンの雨だれ(プレリュードOp.28-15)を丁寧にやり直したいと思うようになりました。
大人になってこの曲の良さが解るようになった気がします。
着手したい分野やその分野の細かい部分が多すぎて、希望の蕾ばかりが膨らんでいく感じ…。
時間も体力も有限である中、取捨選択する力が問われると思います。