本気でこんな考えかたで生きている人は・・どうかしら。
毎朝、目覚めるとすぐに・・窓を開け街を眺め空に向かって諸手をあげて
「私の世界よ~おはよう~♪」から一日のスタート![]()
今日も私のために雲は遠慮して太陽に席を譲ってくれている。
小鳥はピーチュクチュン!と、私のために歌ってさえずっている。
朝日に照らされた木の葉が産みだすダイヤモンドの煌きは私のために輝く。
どこからとなく香ってくるコーヒーの芳ばしい匂いも私のために流れてくる。
「ああ~シ・ア・ワ・セ~♪」と大きく息を吸い込む。
朝食の時間だ。
トーストがいい感じに焼けて、私のために薫ってくれる。
濃厚なミルクは、私のために牧場から長いルートを経てここまで届いてくれた。
コーヒー豆の問屋さんが私のために炒って挽いて、香り豊かに仕上げてくれた。
おいしい!と感じる味覚と香りを楽しむ臭覚も、私のために備えられた。
「ああ~、生きてるって素晴らしい~♪」と嬉しく飲み込む。
こんな感じ方や思考で、毎日を過ごしている人間を、社会一般の常識ある人々(?)は、果たして・・・どう思うのだろうか。
おそらく・・妄想でしょう、自意識過剰だ、ナルシストだ、頭がおかしい、トランス状態だ云々と批判するかもしれないですね。
では、この人の一日の続きをどうぞ!
電話のベルが鳴り響く。子供の担任教師からの緊急な電話だ。
「00くんが鉄棒から落ちて・・今、救急車で病院へ向かっています。お母様もすぐ、来てください」
同時に、携帯電話が鳴った。旦那さんからの電話だ。
「おい、どうしよう・・・。突然、リストラの名簿に俺の名が載せられたって聞いたんだ・・・」
この人、どちらにも「はい、分かりました」「そう、分かったわ」で電話を切ります。
そして・・本音でこう思うのです。
『まあ、今日は私の退屈を埋めるためにいろいろ起きてくれたのね。
滅多にないこんな試練を人生で経験できるなんて、いい機会だわ。私の成長のためね。
先ずは、子供の運ばれた病院へ行くけど・・子供の様態をちゃんと見て、それから考えましょう。
そうそう、パパの仕事のほうは・・・まだリストラが決定した訳じゃないから、決まってから考えましょう。
今は何も分かってないものね』
と、るんるんと鼻歌まじりで自宅のドアを閉じて、車で出かける。
結果は、そう~・・どちらも一家心中しなければならないほどの事でもなく、家族はとにかく生きているので、やはり、この人はこう思うのだ。
私のために、また朝陽が昇ってくれた。
「生きているって、なんと言うシ・ア・ワ・セ~♪」
私のために炊飯器はご飯をおいしく炊いてくれている。
「ありがとう~おいしい♪」
窓の外では、鳥の美しいさえずりが、今日も私のために歌ってくれている。
この人は、最高の幸福な暮らし方をしていくのだ。
たとえ、他人がどう思おうとも・・。
こんな生き方をどう思うかはその人次第。
ただ・・・
イギリスの詩人・ワーズワースは、自分の詩の中で・・野鳩の甘いさえずりを聴いて・・この歌は僕のために歌われている!っと作詩した。
今日も明日もずっと~「今」を幸福にするもしないも自分次第なのだ。![]()