9/5 気持ちは上がったり下がったり | 母の肺腺癌闘病記/叔父まで肺癌に

母の肺腺癌闘病記/叔父まで肺癌に

2015年2月末に遺伝子変異なしの肺腺癌ステージ4と診断された母の闘病記。
その他、健康に関する事や日々のことを。

2015年6月、叔父が扁平上皮癌に。
2016年6月2日、叔父他界。

こんばんはお月様
毎日があっという間。
気づいたら自分の誕生日になっていました。
ブログを更新する気が起こらずスミマセン。


母が亡くなってお別れ会をして・・
次の日からは日常。
チビがいるおかげで家事を放ったらかしにするわけにもいかず食事を作らないわけにもいかず。
ありがたい事です。


暫くはまた母が入院しているような感覚で、でもリビングには祭壇が置いてあって遺影があって遺骨があって・・
不思議な気分でした。


ただ、母の部屋があまりにも今までのままでちょっと辛いです。
本当に突然いなくなったかのように何もかもがそのままで。
6月末くらいの部屋で時間が止まっているんです。
母の匂いもそのまま部屋に残っています。
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6月末から胸水がたまり出して息苦しさとダルさも出て来て片付けもままならず、8月頭に退院した後はダルさで片付けなんて出来るはずもなく。若干言動が怪しくもなって来ていましたし。
そこからあっという間に認知症のような状態になってせん妄で寝てる時間が増えて・・


母の場合は荷物を減らすどころかショッピングが大好きなので日々服や小物類が増えていました。
殆どが病院に行くための服でしたが、もともと好きだった買う事・着る事が闘病中の生きがいになっていたと思います。

そのおかげで色々な服が合わせて何百枚もあるんじゃないかと言うクローゼット&タンスなんですが・・
靴下だけでも凄い数です。
一枚一枚に思い入れがありそうで触れません。

部屋を見ていて1番辛くなったのが、アブラキサンで脱毛した為に買い出した帽子類です。
ベレー帽は何も思わなかったのですが、医療用キャップの形をしている物。
これが今見ると辛いです。
おしゃれな柄だったり生地だったりするんですが、どんな気持ちでこれを集めて行ってたんだろうと。
しょっちゅう通販のサイトを調べて頼んで欲しいと頼まれていました。


でも、これより最高に辛いのが自分のスマホのインカメラで亡くなる当日の朝に一緒に撮った写真がスマホのアルバムを開くたびにインカメラのトップにサムネイルで出ている事です。

痩せて人相が変わって、癌性髄膜炎のせいで目に力もあまりなく・・
そんな母の顔が。
他の写真が出るようにインカメラで何かキレイな花でも撮っておけばいいんですけど。


亡くなって暫くは入院中のような気分でしたが、時間が経って思い出の物や場所があちこちから出てくるたびに辛くなります。



街中を歩いていて良さそうなお店を見つけたら母に報告して一緒に行ったりしていましたが、よく考えたらこれからはそんな事も出来ないんだと今更気づいたり。

そして今の気分に追い打ちをかけるように、幼稚園のお手紙には敬老参観のお知らせが。
去年は母1人、自転車で行っていたのにな。




相変わらず旦那さんは仕事で殆ど帰って来ないし、話し相手はチビだし・・
ちょっとした世間話や雑談をする相手が居なくなると毎日が淡々と過ぎて行ってしまっています。

こう、生活にハリがないと言うか張り合いがないと言うか・・
子育てモード以外の自分は気分もやる気も起伏が少ないなと思っています。


まだ少し母の手続きが残っているのでこなしつつ。


チビの午後保育が始まったおかげで長かったベッタリ2人の時間でしたが、ようやく1人の時間が少し増えました。


私も少しリフレッシュした方がいいんでしょうね。
でも今までならその時間に母とでかけていたのに、何をするにも1人なんですよね。
外に出たら出たで生まれてからずっと京都なのでどこもかしこも思い出だらけです。

胸水を抜いて癒着成功させて退院したら行こうねと約束していた近所のカフェも目と鼻の先。

今の家に同時に引っ越して来て、インテリアはほとんど母の方のを優先させたので母の物ばかりです。
植物たちも母が担当だったので水やりのたびに土いじりをしていた母を思い出します。


亡くなって2週間ちょっと。
皆さんに比べると全体的に副作用が軽めな事か多く初回の抗がん剤が効いてくれてからは自覚症状も無く。
闘病中はほとんどが元気だったので癌と分かってからも楽しい思い出が多くて。
「闘病中って感覚は無いねん。私はいつも自分が癌って事を忘れてるんや〜」
なんて言ってましたもの。


まだまだ寂しさばかりです。