


パキスタンとの国境まで100㎞という、インドは北西、ラージャスターン州、ジャイサルメールへとやってきました

デリーから寝台列車で約18時間。ファンのみ(A/Cなし)の3段寝台(SL)Rs320(約640円)

約800㎞強の移動距離でその値段だから安いものです。
乗車してから12時間程すると、車内には砂埃が、、、。
息をするのも目を開けることも辛い

たまたまジャイサルメールへ向かうという日本人学生(タクマ)がマスクというすばらしき呼吸のためのフィルターをくれた

着々と砂漠地帯へと近ずいてきてることは身をもって実感できます

キャメルサファリのツアーは女性一人での参加は危険、との情報から
このタクマと一緒にツアーに参加してもらうことにした

そんな列車内で あるインド人が声をかけてきた。
「ホテルレヌーカー知ってるか?僕はそこの者だから駅に着いたら僕のジープで送っていってあげるよ

レヌーカーは歩き方に“日本人に人気の宿”として載っているホテル。ムラと名乗るインド人の疑わしきも有難いご厚意にノルことに

ジャイサルメールに着き、駅を出るとそこは黄土色一色

12世紀頃、貿易が盛んに行われており、人々の行き交う大都市であったジャイサルメール。
今ではパキスタンとの分離独立によって西への道が封鎖されてしまったことにより、静かな城塞都市となっている。
そのおかげといったら何だけど、その静けさがなんとも言えない風情を感じさせ、一目で気に入った

ムラが連れていく先は”Hotel Renuka”でなく“Jaisal view”、、、

どうやらレヌーカーの知名度を使って自分の名の知れぬホテルに連れてきたようだ。
さすがインド人。とりあえず嘘つくんだね

でも、ムラは「レヌーカーは有名で高いね!僕のホテル安くて綺麗、新しいし見るだけみてよ」と。
ならば見てみましょう。
中は綺麗で値段を聞くと何とRs60(120円)

「レヌーカーまで歩いていけるから向こうも見てから判断してくれよ」とのことでタクマと一緒にレヌーカーを見に行くことに。
清潔さ、立地(サンセットポイントのすぐ近く!)、レストラン、宿泊代金等すべての面でムラのいるジャイサルビューが
勝っていたためここでのホテルはジャイサルビューに決定

ムラに感謝(嘘つくけど、、、)
早速ジャイサルメールでのメインイベント、キャメルサファリのツアーを聞いてみることに。
するとチャイを飲みながら見晴らしのいいレストランで詳しく説明してくれた。
「僕のところのキャメルサファリは観光化された賑やかな砂漠でなく、街からうんと離れた砂漠で他のツーリストもいないし、夜空は満天の星、パキスタンの国境付近まで行くんだゼ!1night2daysでRS1500(約3000円)」
ムラの話は巧妙でなんとも魅力満載に聞こえる。
しかも「ツアーに参加してくれたらチャイも無料、宿も無料でいいよ!ビールも仕入れ値、しかもディナーは招待するよ!だって僕らは友達じゃないか

嘘みたいなサービス満載のムラの営業にまんまと快くしたタクマと私はデポジットのRs500(約1000円)を納め、気分良く町観光へと出かけた。
しか~し、街で聞いてみると安くてRs700,ホテルレヌーカーのツアーでRs1300...
ジャイサルビューの宿代は安いけど、その分キャメルサファリのツアーで稼いでるのね、、、、

ちょっとくやしい思いを抱きつつも、ジャイサルメールの美しい街並みをふらついてみる。
どの家も壁面装飾が素晴らしく、18世紀のハーヴェリー(貴族の邸宅)や高さ76メートルの丘にそびえるお城の周りを散策

なんて綺麗で情緒あふれる街なんだろう、、、。どこを歩いても絵になる景色

陽が沈む前に宿の近くのサンセットポイントへと向かった。
丘から一望できるジャイサルメールの町並み、陽が沈むとともに町はオレンジ色に染まっていく、、、。
この町へ着て良かった。
夜は約束通りムラとの晩餐

EGG CURRYとチャパティ、ヨーグルトを囲んでの晩餐は、さほど盛り上がらず(苦笑、)明日のキャメルサファリに備え早めの就寝

さて、メインイベントであるキャメルサファリの朝、ムラのジープでお寺やバラ・バーグ(ヒンドゥー教徒の王家の墓)などをまわりつつ
車で走ること約1時間半、そこには4匹のラクダと一人のキャメルライダー、“ゴホ”が待っていた。
ジープを降り、食料、水、荷物等を持ち、いざ、私達もラクダへとまたがる。
私を乗せてくれるキャメルの名はナンガ、9歳男の子。4匹の中でも1番大きて、ハエも一番タカってるw
ゴホの合図で立ち上がり、のっそのっそと歩きはじめるラクダの乗り心地は決して快適とはいえるものではない

サンサンと降り注ぐ太陽の光の中、3人と4匹は砂丘を目指し、どこまでも続く平野を進む。
村が見えてきて、そこでの生活を見せてもらったり、チャイをご馳走になったり、記念写真をとったり、、、。
砂漠地帯にすむ子供たちの笑顔は世界共通、満面の笑みで暮らしの苦はまったく感じられなかった。
でも何かと物乞いはしてくるので、お菓子やボールペンを持っていると重宝するかも

キャメルに揺られること2時間半、木陰のあるスペースでランチタイム。
ゴホは器用に火をおこし、まずはチャイを淹れてくれる。
見渡す限り平野、そんなところで飲むチャイは格別だった

そしてキャベツ、トマト、トウガラシ、ジャガイモ、ズッキーニ、、、たくさんの野菜を角切りにし、
ターメリックとガラムマサラ、チリ、その他もろもろのスパイスを水で延ばしながら、ニンニクとクミン、塩をすり潰したものを挿入、コトコトグツグツ、、、。
カレーを煮込んでいる間に今度は粉と水、塩を混ぜ合わせてチャパティを作り始める。
すべて、ゴホがこの場で作ってくれる。
作っているとどこからともなく子供達が現れ、おこぼれを頂戴とばかりにジッと見ている。
ゴホお手製野菜カレーはもちろん手で食べ、それがまた一層おいしく感じさせた。
お腹もふくれたところでキャメルにまたがりまた砂丘を目指す。
ナンガとの息も合ってきて、だんだんと愛着がわいてきた

「ナンガはとっても頭のいいラクダなんだ。君に乗られてナンガもハッピーさ!」
なんて会話をしながら、ゆっくりと、時折カッポカッポと小走りをしてみたり、キャメルライディングを楽しんだ。
行き交う人々に「オ~ホォ

「これを言われた相手はとってもハッピーになるんだ」
ゴホは色々なことを教えてくれる。
辺りに広がる砂丘が見えてきた。
「今日はここで野営さ!星に歌にダンスに食事、、、砂漠を楽しもう!」
気がつくと陽ももう沈みかけ、、、。
急いでカメラを持って砂丘の山に駆け上がった。
遠い地平線に沈みかける夕陽はなんともいえない美しさで、これまた一生心に残る情景となった

真っ暗になったとおもったら遠くから太鼓の音が、、、!
どうやらジプシー達の奏でる音で、彼らは毎晩、砂漠を放浪しながら夜は歌に踊りに、オピゥムに、、、。
知らない世界はまだまだあるんだな~なんて思いながら、野営をしているとゴホの知り合いのキャメルライダーや
ビールを売りに来た男、みんなで食べるカレー(今度はライス入り!)はこれまた格別

ゴホの名言「LIFE IS NO THINKING」を胸に月夜の砂漠で、重い瞼をとじるのであった

朝は寒さで目が覚める
残念ながらサンライズは雲で隠れて拝めなかったけど、ゴホの淹れてくれるチャイとトースト、甘いバナナの朝食に満足し、
ナンガにまたがってまた村や寺を目指した。
さすがにパキスタンとの国境の近くだけあって、軍のキャンプ地を何度も見かけた。
その近くの村には電気が通っていて、のぞかせてもらった家の中には蛍光灯やファンも付いていてた。
ときどきあるオアシスでキャメル達に水をあたえ、チャイとカレー、チャパティのランチをとり、木陰で読書、うたた寝を楽しんだ。
インドの大地にごろんと寝そべって、ポケーっと本を読む、、、過去最高の読書タイム。“シアワセ”ってこういう事。。。
至福の時を経てキャメルサファリもそろそろ終盤。
迎えが来る場所へ向かう途中、タクマのキャメルのクッションがいつの間にかなくなっていた。
ゴホは「戻ってみてきていい?5分でくるから」と言って私達を置ざりにきた道(なき道)を引き返した。
びっくりしたのはその速さ。
馬かと思うほどのスピードで駆け巡るゴホとキャメルの颯爽とした走りは超かっこいい

無事にクッションも見つかり迎えも来たところでゴホにお礼と別れを告げた。
ノホホ~ンとしたゴホのキャメルサファリに大満足!
冬だったら一面砂丘が続くというターン砂漠。
いつかまた冬に訪れてみたいものです。(防寒具必須!)
その日の夜はまたムラとディナータイム!
キャメルサファリに満足した私達に満足したムラは、今夜は特別なものを用意したよ、といって、、、。
そんなこんなのジャイサルメール、とっても楽しんだ地となりました。
但し、歩き方にも書いてあるけど、ゴホのようにいい人ばかりでなく、色々とトラブルがあると聞くキャメルサファリ。
女性一人の参加は絶対にやめた方がいい!
砂しかない、そこで何があるかは分からないもの。
一緒に動向してくれた日本人学生(たくま)に感謝です。
さて次はジャイサルメールから東へ287㎞、ブルーシティと呼ばれる町、ジョードプルへと向かいます

