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センテンスサワー

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虚構について

 

 松本の作り出す笑いは、他の芸人の作り出す笑いと、なにが違ったのか。それは松本人志以前、以後で明らかに笑いの質が異なっているように思うのである。時代を経るに従って、笑いのパターンは増えていき、笑いのテクニックは向上していくだろう。だが、閉鎖的なお笑い界では、封建的な師弟関係から引き継がれる芸のマイナーチェンジがやっとだった。古い伝統を重んじることが日本の伝統芸といわれればしかたがないのだが、異次元のレベルへと引き上げる特異点が生まれる可能性は低い。

 それでは松本人志の作り出す笑いは、それ以前の笑いと根本的になにが異なるのか。それは、虚構という概念が深く関係している。虚構とは、想像力によって、あたかも現実のように作られた世界のことである。なぜその虚構が松本人志以後の笑いに関係するのか、順を追って説明していきたいと思う。

 

 島田紳助は松本人志との共著である『哲学』の中で、松本の笑いを次のように分析している。「松本の喋りのセンス、笑いのセンスは間違いなく天性のものだ。ツッコミは努力で上達するものだが、ボケの才能はそうはいかない。生まれつきのもので、努力は一切関係ない。(中略)純粋に笑いを突き詰めていく過程で、出合い頭の事故のように時代にぶち当たった。だからこそ、あれだけの強烈な笑いのインパクトを与えたのだ」と説明する。

 松本人志が吉本興業に入った頃、漫才ブームが終焉を迎え、焼け野原のようだったと述懐している。漫才ブームとは、いわゆるお笑い第二世代を中心に起こした演芸ブームのことである。B&B・ツービート・紳助・竜介を中心に、新たなスタイルの漫才が、若手の漫才師を筆頭に創出された。松本人志は漫才ブームを振り返り、「漫才の上手下手ではなしに、発想で勝負できるように、あのブームの頃からお笑いというものが変質していった」と分析している。テクニックやお決まりの芸で笑いを生み出すのではなく、発想で笑いを生み出すという点に、松本は着目している。漫才ブームの当事者である島田紳助は、その点に関しては触れておらず、漫才ブームが起こった要因を、「速いテンポが漫才ブームの起爆剤となった」と説明しており、あくまでもスタイルの革新性に触れているだけである。双方に、漫才ブームに対する認識のズレが生じているのは明らかだろう。島田紳助は、松本の指摘する性質の変化に気がついていない可能性すらある。

 それではその変質したものとはなにか。私はその原因に虚構というものが関係していると思っている。その原因を探るための手がかりとして、松本人志が生まれた時代を考察する必要があるだろう。

 そこで注目したいのは、哲学者の東浩紀の著書『動物化するポストモダン』である。同書の中で語られているのは、オタク系と呼ばれている人々の消費の仕方であり、文化や時代にずれはあるにしろ、その捉えている概念は、現代の笑いの消費の仕方と似ているように思う。現代の笑いの消費の仕方については後述するとして、性質の変化を援用するための要素を抽出し、関連する論点にだけ的を絞り、解説していこうと思う。

 

 

ポストモダンについて、虚構の時代

 

 まず、『動物化するポストモダン』の概要について説明する必要があるだろう。タイトルの示す通り、ポストモダンの日本文化(オタク系文化)の消費の仕方について論じたものである。ポストモダンとは、一九七〇年代以降の「大きな物語」が失われてしまった時代をさす。そもそも、それ以前の社会の秩序は「大きな物語」の共有によって支えられていたというのである。大きな物語は説明しづらい概念でもあるが、イデオロギーであったり、ライフスタイルであったり、社会全体で共有されている価値観の拠り所のようなものである。それらの諸条件が瓦解したことで、維持されていたシステムが機能しなくなり、ポストモダンと呼ばれる時代が到来してしまったのである。

  そのような経緯があり、失われてしまった大きな物語を補填するために人々は虚構を欲望しくいくことになる。虚構とは、事実でないことを事実らしく作り上げることである。そうすることで、人々を支えていた大きな物語の穴を、虚構で埋めるようになったというのである。そこで注目されたのが、同時期に現れたオタクと呼ばれる人たちである。社会に馴染めず、趣味の世界(共同体)に閉じこもり、「自我の殻」を作り上げる。オタクにはそんなイメージが強い。だが、そのような振る舞い自体が、失われてしまった大きな物語の穴を虚構で埋めるために見出された行動様式の一つであると、東浩紀は分析している。

 そして虚構自体が産業のひとつとして消費されていくようになる。上記で説明したように、人々は虚構自体を欲望するようになり、その欲望自体が消費されていくことになったのである。

 

 

虚構と笑いについて

 

 それでは改めて、前述した内容に絡めてみようと思う。一九八〇年以降、笑いの消費の仕方が変化し、消費者自体が虚構を求めるようになったと言える。松本人志の説明する発想というものが、消費者から受け入れられるようになったことも、その点に符合する。要するに、産業文化の構造の変化に重なるようにして、笑いの消費者自体も虚構というものを欲望するようになり、発想(虚構)をベースとした笑いの変化に敏感に反応するようになったのである。

 松本人志はいち早くその変化に気がつき、いや、それは無意識の産物として創作されたのかもしれないが、発想(虚構)にこそ、新しい笑いの文脈があることを発見し、新しい笑いを生み出すことに成功したのである。その新しい笑いとは、虚構の中にあるイメージや共有されている価値観や概念をもとに創造した発想としての笑いである。

 

 その点について説明するために、大塚英志の「まんが・アニメ的リアリズム」という概念を参照したいと思う。まんが・アニメ的リアリズムとは、アニメやコミックという世界の中に存在する虚構を「写生」することで作られた作品と定義付けされている。要するに、物語の中にある世界観自体を創作の拠り所にして、新たな作品として創作しているということである。松本人志の作り出す笑いは、その虚構自体にある世界観から可笑しみを見出すことで笑いを生みだしているのである。

 松本人志以前の笑いはどうかというと、変質の段階ではあったようであるが、虚構自体を創作の拠り所にしている漫才はなかったように思う。少なからず、空想的で非現実的なネタも存在しているが、それらはあくまでも、現実を観察したり、日常の出来事を題材にすることで創作したネタである。B&Bのご当地漫才であったり、ツービートや紳助竜介の風刺のきいたネタであったり、社会を滑稽に茶化す批評性のあるテーマのネタが比較的多かったように思う。

 高田文夫は、著書「笑芸論」の中で、山本章二宗匠の次の言葉を引用し、当時の漫才ブームを次のように分析している。それは「漫才がフィクションから、ノンフィクションに変わった」という内容である。大塚英志は、まんが・アニメ的リアリズムに対して、現実を写生することで創作された作品を、自然主義的リアリズムと提唱している。それはつまり、松本以前に存在したフィクション性のネタというのは、あくまでも現実の否定としてのファンタジー(フィクション)であり、ノンフィクションとして認識されていたネタに過ぎないということである。すなわち、松本以前以後での変化の流れは、「ノンフィクションから、フィクション(虚構)に変わった」ということである。

 

 さて、改めてここで再度議論を戻すが、大塚によれば、まんが・アニメ的リアリズムの契機を、一九七〇年代後半としている。そこで大塚が注目したのはSF作家の新井素子である。「『ルパン三世』の活字版を書きたかった」という新井の発言を参照し、「近代日本の小説の約束事の外側にあっさりと足を踏み込んでしまった」と説明する。どういうことかというと、それまでは、現実を描いたり、現実を否定した物語(ファンタジー)を描くことが一般的であったが、新井はアニメの中に存在する世界や世界観を写実することで、創作し始めたというのである。現在であれば、それは二次創作的だといえるだろう。だが、当時としては、そのような試みは珍しく、そのような発想自体が革新的だったと思われる。

 新井が生まれたのは、団塊世代と団塊ジュニア世代のちょうど中間に位置する世代である。いわゆる、しらけ世代と呼ばれており、その世代は一九五〇年から一九六四年まで位置づけられている。新井は後期しらけ世代の生まれであり、オタク第一世代である。従来とは異なった感性や価値観を備え、新人類世代とも定義されている。

 偶然にも、松本人志が生まれたのは一九六三年であり、新井と同様に、虚構を前提とした世界観を共有している世代なのである。そして松本自身、自らをオタクであると公言し、漫画やアニメ、特撮好きとして知られている。彼のコントや映画などでは、特撮技術を使用したパロディーネタが多く、例えば、ごっつええ感じでは、怪獣コント、レンジャイもの、アホアホマンなどが有名である。また、自らが企画し、同番組で松本原作のアニメ「きょうふのキョーちゃん」を手がけている。それらは新井の手法と同様に、二次創作としての作品が多く見受けられる。それはつまり虚構を前提とした世界観を拠り所とし、創作されているということである。

 それらを踏まえて指摘したい点はこういうことである。松本は虚構をもとに笑いを創作した初めての芸人なのではないのかということである。もちろんそれまでにも虚構を前提とした笑いを生みだしていた人はいるかと思う。だが、当時の時点で、高い完成度の笑いへと昇華し、笑いの評価軸を変えてしまうほどの影響を与えることができたのは、まぎれもなく松本人志だけである。

 同時期に、彼らのような虚構を前提とした発想をするクリエイターが数多く発生した理由として、たまたま偶然が重なったわけではなく、日本文化全体に関係する文化的特異点に遭遇してしまったからなのである。その文化的特異点に登場したのが、新人類世代と呼ばれる虚構を前提とした創作を可能とする人々なのである。

 

 以上を経て、ようやく虚構と笑いの関連性を説明できたのではないだろうか。繰り返し述べてきたように、虚構を前提とした笑いは、新しい価値観を備えた世代の人々に受け入れられるようになる。そのため、世代によって新しい笑いの消費のされ方にはばらつきがあり、そのため、とくに松本人志の上の世代は、彼の笑いを理解できず、否定的なのである。それは、虚構を前提とした消費ができないため、可笑しみが共感できず、複雑で意味が分からないと判断されてしまうためである。

 松本人志の笑いが賛否両論なのはそのためである。少なからず、松本の笑いに反応できる人は、虚構を前提とした消費の能力があり、可笑しみを見出すことができる。そして、九〇年代以降にそのような消費ができる人が増えることで、松本の笑いは大衆を獲得し、玄人から素人まで幅広い層から評価されることになったのである。

 

 

関連ページ:

 

松本信者論(令和バージョン)第一章

松本信者論(令和バージョン)第二章

松本人志のカリスマ性

 

 一九九四年九月一日、松本人志著の『遺書』が発売された。発行部数は二三一万部を超え、芸人としては驚異的な売上である。『遺書』が発売される以前から、松本人志はカリスマとしてお笑い界を牽引していたが、それが大衆に認知されるようになったのは『遺書』が発売されて以降ではないだろうか。松本人志の取巻きや松本信者のみならず、大衆までも巻き込むことで、松本はお笑い界のカリスマとして社会を席巻したといえる。

 当時を振り返ると、九〇年代の中頃の時代は、閉塞感や終末感の漂う暗い時代であった。『遺書』が発売された数ヶ月後に、阪神・淡路大震災があり、地下鉄サリン事件があった。悲惨な事件や災害が重なり、とても不安定な状態だったといえる。ただでさえ、バブルが崩壊し、拠り所としていたものが瓦解してしまった時代に、社会の底すらも抜けてしまったのである。

 これまで当たり前だったことが否定されてしまい、拠り所とするための新しい何かを求めるようになった。その穴を埋めるために必要とされたのが、スピリチュアル本であったり、ソフィーの世界のような哲学的な本である。その一つの役割として『遺書』は人々から求められるようになったのである。

  松本人志がカリスマ性を獲得していく過程を振り返ると、大きく分けて三つの区分に分けることができる。そのターニングポイントは松本が活躍したいくつかの時代に位置され、一つ目は二丁目劇場、二つ目は東京進出、そして三つ目は『遺書』の発売以降だと考えられる。それらはあくまでも目安であり、さらに細かく分けることが可能であるが、松本の変遷を捉えるためには重要だと思われれる。

 それらの時代を中心にどのような経緯で、松本はカリスマ性を獲得していくのか。それらを考察する前に、われわれはまずカリスマについて知っておく必要がある。社会学者であるマックス・ウェーバーのカリスマの定義を参考にしながら、カリスマおよびカリスマ性を獲得する過程を説明していきたいと思う。

 

 

カリスマについて

 

 そもそもカリスマとは、どういう意味なのか。カリスマ美容師やカリスマ経営者など、メディアを介して耳にしたことはあるかと思う。だが、われわれが日常的に使うカリスマという言葉は、本来の意味を離れてしまい、憧れの対象や影響力のある人に対して使われているにすぎない。その定義でのカリスマは、高い専門性と固有のオリジナリティを兼ね備えており、大衆を魅了するような人気者を指す。現在では、インフルエンサーと呼ばれる人々が、情報発信の新たなカリスマとして登場しているが、同義的に近い意味合いである。

  本来カリスマという言葉は、預言者・呪術師・英雄などに見られる超自然的・超人間的・非日常的な資質を兼ね備えた人のことを指す。元々の語源は、古代ギリシア語の「恵み」、「好意」、「喜び」から派生した「カリス」という言葉に由来する。その後、新約聖書で、「神より賜った能力」「神の賜物」を意味する宗教用語として用いられるようになったのである。

 現在のカリスマという言葉は、宗教としての意味合いは薄れているように思われる。だが、上記の説明からもわかるように、カリスマは常人を超えた資質を備え、天才、鬼才、異才などの言葉で形容されるように、崇拝されるような特別な存在者であることは間違いない。

  このような使われ方をするようになったのは近代になってからであり、社会学者であるマックス・ヴェーバーが、カリスマという言葉に新たな解釈を加えて再定義したとされている。ウェーバーの定義では、日常的なものを超えた非凡な資質に対する畏敬の念に基礎をおく支配関係とされている。ウェーバーいわく、カリスマの特別な資質に対して信奉する人々は情緒的に魅了されてしまい、承認を求めて服従するようになるということである。

 この点についてウェーバーは、地位や伝統的な権威に対して服従してしまうのでは無論ない、と指摘している。その理由として、そもそもカリスマという抽象的な概念は客観的な判断ができないため、「没価値的に」扱う必要があると説明する。没価値性(価値自由とも言われている)とは、「社会科学において認識の客観性を保つためには、一定の価値基準に従って善悪、正邪の判断を迫るような態度をとるべきでない」という立場である。

 なんらかの現象を認識する際、人によってそれ自体を判断する仕方や観点が異なるため、ましてや盲信している人々に正確な価値基準などあるはずがない。そのため、あらゆる価値観に対して中立的になることなど不可能ということである。それは、それぞれが特定の立場から物事を判断しているため、彼ら固有の立場を考察し、それぞれの主張を理解してあげることが重要とされているのである。それはつまり、客観的にカリスマを評価することは難しいため、信奉者がどのようにカリスマを評価しているか、という点をウェーバーは重要としているのである。

 

 上記のことからもわかるように、ウェーバーの考察の対象は、カリスマに対してではなく、それを信奉する人々ということになる。カリスマ性は、もともと備わっていた性質というわけではなく、カリスマ性を獲得するための条件として、資質が備わっていたにすぎない。そのため、カリスマ自体を分析するよりも、カリスマを信奉する人々に目を向けることが重要なのである。

 これまで繰り返し述べてきたように、信奉者は、カリスマの特別な資質に魅了されて、崇拝するようになる。ウェーバーは、その点について次のように説明する。

 

カリスマ的支配は、支配者の人(ペルゾーン)と、この人の持つ天与の資質(カリスマ)、とりわけ呪術的能力、啓示や英雄性、精神や弁舌の力、とに対する情緒的帰依によって成立する。

 

 情緒的帰依とは、簡単にいいかえると、感性や情動に訴えられることで心を支配されてしまうことである。それは非常に信仰心の発生と似ていると思う。心理学者のマズローの言葉を借りるならば、それは至高経験に近いを体験をしたということである。至高経験とは、なにかに心を打たれ、最高の幸福を感じる瞬間のことである。それは意識して獲得するものではなく、あくまでも偶発的に出会うものである。もともと至高経験は、宗教的経験や神秘的経験をした際に、使われていた言葉である。マズローは、その言葉を応用し、世俗化する必要があったと説く。

 われわれが、松本の笑いに感じた体験は、日常生活の中で獲得されたものである。松本の笑いに魅せられて、至高経験を獲得することで、情緒的に帰依することとなったのである。それらの束が、総合的な評価となり、いくつかの段階を経て、松本は笑いのカリスマと呼ばれるようになったのである。

 

 

松本人志のカリスマ性について

 

 それでは松本人志のカリスマ性の契機について解説していきたいと思う。再度繰り返すが、松本人志がカリスマ性を獲得していく過程で、ターニングポイントとなった時期は、次の三つの区分に分けることができる。一つ目は二丁目劇場以前、二つ目はごっつええ感じ、そして三つ目は「遺書」の発売であるだろう。これらの時期に、どのようにして情緒的帰依を感じるようになるのか。各区分ごとに考察していきたいと思う。

 

 まず、二丁目劇場以前をターニングポイントとした経緯について説明したいと思うのだが、それは世代交代が関係している。二丁目劇場がオープンしたのは一九八六年である。その前年には、漫才ブームが終焉し、紳助竜介が解散することとなる。少しだけ寄り道をするが、紳助は、舞台袖で出待ちをしていた際、たまたまダウンタウンの漫才を目にし、自分たちの限界を感じたそうだ。紳竜解散の会見では、「阪神・巨人やサブロー・シロー、ダウンタウンには勝てない」と、当時まだ無名であったダウンタウンの名前を挙げ、衝撃を与えた。

 紳助という漫才ブームを牽引し、誰もが認める才能の持ち主が、ダウンタウンを認めることにより、彼らの評価は自然と高まることになる。その過程で、彼らを知らない人であったり、ネタを見たことがない人でさえ、賛美とともに自然と注目が集まるのである。その連鎖の繰り返しが、カリスマを育てる一つの要因だと思われる。つまり、ダウンタウンの近くにいる人、もしくは紳助のようなお笑い界の中での実力者が、彼を評価することで、ダウンタウンの評価は自然と高まるのである。そうすると、実力者の配下に位置する行為者たちは、ダウンタウンとの序列関係の見直しが行われる。そして同時に、ダウンタウンの取り巻きや関係者でさえ、彼らへの評価の位置づけを見直さなければならなくなる。よって、上位から下位へと評価の見直しが、連鎖的に降りていく。その結果、ダウンタウンは各方面から評価されるようになり、活躍の場が与えられたのである。

 さて、話を戻し、改めて二丁目劇場の時代について説明しようと思う。

 翌年、一九八七年四月、ダウンタウンのメイン番組『4時ですよーだ』の放送が開始される。関西のローカル番組ではあるが、テレビという拡散性の高いメディアにより、関西での知名度は上がっていく。今でこそ信じられない人もいるかもしれないが、当時のダウンタウンは、アイドルのような人気を誇り、若者から高い支持を集めていたのである。

 二丁目劇場での活躍以前に、ダウンタウンの実力派は折り紙付きだった。数々の賞レースを総ナメにし、業界関係者からはこの時点で評価されていた。そして関西での確固たる地位を築き、『4時ですよーだ』の終了のタイミングで、ダウンタウンは東京へと進出することになる。

 

 二つ目は、ダウンタウンの代表作といえる『ごっつええ感じ』である。ダウンタウンは、活動の場を東京へと移してからも、ダウンタウンの人気は衰えず、あらゆるバラエティ番組で活躍し、いくつもの冠番組を抱えることとなる。『ごっつええ感じ』を筆頭に、視聴率二〇%を越える人気番組を連発し、彼らは全国区の人気者となる。

 ここで着目したい点は、彼らは有名人という地位を獲得することによって、お笑い界のみならず、芸能界での序列の上位者となったことである。それはまた、お笑い界においての経済資本の枠組みを変えてしまったということであもる。そしてそれは、芸能界での優位性を獲得することによって、権力を手にすることになる。その点について、P.D.マーシャルの『有名人と権力』を参考に解説したいと思う。

 P.D.マーシャルは、有名人が権力を獲得していく過程で、どのように彼らを支持する共同体(経済・政治・芸術など)が出現し、有名人がどのような位置づけで、機能することになるまでのプロセスを考察している。同書では、有名人の概念を以下のように解説し、メディア装置の必要性について説いている。

 

有名人の概念は、意味の安定とコミュニケーションの<システム>として最もよく定義される。システムとして、有名人地位の状態は、現代文化における多様な領域や状態に変換可能なものである。このように、有名人地位の権力は経済・政治・芸術的な共同体において出現し、それらの諸領域で成功を差異化し、それを定義決定するやり方に作用する。有名人地位は、人に、ある種のとりとめのない力を授ける。社会において、有名人は他者についての声であり、合法的に重要な存在であることでメディア・システムに接続されている声である。

 

 テレビというメディアは、ネットメディアとは違い双方向性に欠けており、どちらかというと一方的に情報を発信するためのメディアだといえる。マスメディアとして、ポピュリスティックな仕方を得意としており、そのため不特定多数の視聴者を獲得することができる。ダウンタウンは全国放送という巨大メディアで活躍することで、ローカル放送時代とは桁違いの視聴者からの支持を得ることになったのだ。P.D.マーシャルは、テレビやマスコミなどのメディア装置は、いっぽう的な情報操作による大衆の画一化につながる恐れがあり、それが行き過ぎると、大衆を扇動することになり、メディア装置から暴力装置へと変貌してしまうと説明する。

  有名人の特性として、視聴者(大衆)から同一化を図られることが挙げられる。同一化とは、憧れの存在に近づきたい、なりたいという願望を、対象のもつ考えや感情・行動・属性を取り入れ、同様の傾向を示すようになる心理的過程とされている。いわゆる、服従のようなものであり、また情緒的帰依に通ずる考えである。

 『ごっつええ感じ』による効果は絶大なものであった。この時点で松本人志のカリスマ性の質は、一段階上がることになる。つまり松本人志は、全国放送としての巨大メディアを獲得することによって、たくさんの支持者を集め、その総合評価として、さらなるカリスマ性を獲得することになったのである。

 

 そして一九九四月九月一日、松本人志著の「遺書」が発売される。再度繰り返すが、発行部数は二三一万部を超え、芸人としては驚異的な売上である。遺書に関しては、見方によっては、思想書としても位置づけることができるだろう。それは、娯楽としてだけではなく、松本人志がなにを考えているか、松本人志とは一体何者なのか、といった謎めいたものを理解するために、たくさんの人々から求められるようになったからである。それは、松本人志の可笑しみに対してではなく、松本人志という存在自体が注目されるようになったということである。

 信者およびフォロワーは、彼の思想や笑いを理解したい、そして彼に近づきたいと考えるようになり、その手助けとなったのは、遺書という松本人志の哲学が詰まった思想書である。『遺書』は、聖書のような役割を担っていた。お笑い芸人の条件であったり、芸人としてあるべき姿。そのような規律を提示することで、信者はより松本に対して信奉していった。

 併せて指摘したい点は、松本の笑いを文章化したことである。複雑で難解だとされている松本の笑いを、わかりやすい言葉で表現されたことで、松本の笑いを理解していない人でさえ、同書を手に取り、入門書のような形で受け入れることが可能となったのである。言語化できるレベルで松本の笑いが理解されることで、感覚的な高度な笑いですら、少しずつ受容されるようになったのである。それは、松本人志の面白がり方が大衆に認知されたということである。

 その後、『遺書』は、芸人を志す人々のバイブルとなるのである。松本の芸風を真似する芸人が増えたことも事実である。複雑で高度な笑いとされる松本の笑いを真似するのは、一見、無理難題なような気がするが、意味が理解できない笑いとして認識されたのではなく、意味不明なものが面白いという単純な理解だったのだと思う。そのため、松本を真似たシュールな芸をする芸人が当時たくさんいた。哲学者のアリストテレスは、創作をするうえで、再現することの重要性を説いた。模倣することで、その行為や思考を身体化できるということである。ただ、松本の笑いを受容するだけでなく、松本の模倣をしながら、自発的に笑いを生み出そうと試みるようになった。それは、まぎれもなく松本の功績であろう。

 

 

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松本信者論(令和バージョン)第一章

 

ぼくはポップソングが好きで、移動中や作業中によく聴いている。ぼくは音楽も好きだけど、歌詞も意識して聴いてしまうため、ときどき作業の手がとまるときがある。ヒットソングほど、共感できるほどの抽象的で感傷的な歌詞がおおく、それは「かなしい」とか、「つらい」とか、「わかれた」とか、誰もが経験したことのあるようなものだ。ぼくも同様の経験をしたことがあるため、同じようにカタルシスを感じる。それがいいとか悪いとかではなく、言葉の魔力なんてそんなもんだと思う。

 

最近、ユーチューブなどでオススメされた曲を聴くことがおおい。売れてないミュージシャンやシンガーソングライター。はたまたアイドルなどなど。彼らは大衆に媚びず、他の人とは違う個性的な作品を生み出し、それが評価されなくとも自らを信じて演奏している。まだ売れておらず、バイトしながら作品を作り続けている人が大半だと思うけど、なかにはまだ世に出ていないだけで、才能豊かなひとがたくさんいる。彼らの独創性は評価されにくいものかもしれないが、わかるひとにはわかると思っているし、誰かが彼らを見つけてあげなくてはならないのかもしれない。

 

彼らの歌詞は荒削りであるが、とても素晴らしいものもある。その歌詞に感動することもあるし、勇気づけられることもある。もっともっと評価されたらいいのになと思う。

 

歌詞と詩は、なぜこれほどまでに違うものだと認識されているのか。歌詞は、大衆文化の作品のためか軽んじられているとさえ思う。遜色ないほど素晴らしいものもあるとぼくは思っているし、信じている。

 

なにが違うのか。

 

それは、受けての受容の仕方が根本的に異なるからだと思われる。

 

詩は、その意味の前に立ち止まらさせることによって、受容者にその意味を思考させる。詩というものは、抽象的な言語を用いて構成されているため、それは感覚で解釈しなければならない。そのため、作者の意図したものと、受け手の解釈には、どうしても差異が生じる可能性がある。それだけではなく、受け手の能力によっても解釈の能力すら異なるため、その作品自体の解釈は多義的となり、意味づけの困難に直面することになるのである。そういう理由から詩には神秘が宿りうるのである。

 

それでは歌詞はどうだろうか。どうように歌詞は抽象的なものが多い。それは抽象的な表現ほど、様々な受け手に共感を感じさせることができるからである。だが、詩と異なる点は、音楽の効果により、受け手に、その意味の前に立ち留まらせることなく、解釈を強制的に切断させられることにある。そのため、抽象的なものを抽象的なイメージとして想起することしかできず、音楽に乗せることでそのイメージは連続することによって映像として消費することになる。そのため、大衆に受け入れられるコンテンツとなるのである。

 

つまり、詩は時間をかけることでなんらかの意義を見出すことを可能にするが、歌詞は時間を切断させられることで、有限的な枠組みのなかに放り込まれてしまい、暴力的に解釈の中断を強いられるのである。

 

大衆文化には、そのような暴力性が存在する。

 

マルクスは資本主義はアヘンだと語った。

 

どうように大衆文化も、上から与えられたアヘンにすぎないと思っている。

 

ぼくらの思考を停止させて、資本主義の餌食にしようと思っているのではないか。

 

与えられたものを与えられたまま消費するのではなく、それをいかにして受容するかを思考し、その意味をその意義を自身の感性に委ねて解釈し続けることが重要なのである。

 

大衆文化革命をぼくらは起こさなければならない。