センテンスサワー -34ページ目

センテンスサワー

気の向くままに書き綴るのでよろしくお願いします。
感想もお待ちしております!!

民法のテレビがあまりにも面白くないので、NHKの「鶴瓶の家族に乾杯」を視聴中。

調べてみると、平均視聴率は15%前後を記録し、前番組の「さだ&鶴瓶のぶっつけ本番二人旅」から数えると十年以上続く長寿番組である。

内容は、鶴瓶とゲストが地方を訪れ、町の人々とコミュニケーションをとりながら、町を散策するというもの。

目的もなく、あてもなく、ただただ話をしていくだけの、いい意味でだらだらした番組。

ただ、それが悪くない。ハラハラ・ドキドキしないけど、ずっと見ていられるというか、落ち着くというか。

以前、ノルウェイの国営放送で、半日間ひたすら燃える暖炉を放送するだけの番組があったそうだ。なんともまあ退屈な番組だが、視聴率がとてもよかったらしい。

理由は、視聴者いわく、落ち着くということ。

斬新で面白い試みだと思うし、日本でも同じような番組を作ればいいのにね。過激だけがすべてじゃないし、視聴者も求めていないのは明らかだし。



これから先、若者はテレビよりもネットへのコミットが増えるだろうし、視聴者の年齢層も高齢化していくことになるだろう。

そうするとどうなるか。

まず、広告会社がターゲット層をシフトし、それによって視聴率をとれる番組だけが制作費をたくさん使えることになる。つまり、若者が見たい番組の質は下がることになる。

現在の民法のテレビ番組は、視聴者を飽きさせないように様々な手法をこらし、チャンネルを変えさせない努力をしている。三時間以上の特番が増えているのもその一環である。またドラマ、アニメ、バラエティーなど、十五分ごとにCMを入れているのも作戦の一つで、人間が連続して集中できる時間は十五分が限界のようだ。

だが、手を変え品を変えだけではどうしようもない現実が迫っている。

同じような番組を作り、小手先の手法でちょっと視聴率を上げたところで、たかが知れている。

もっともっと、斬新な番組を作ればいいのにね。



今週の「鶴瓶の家族に乾杯」はとてもおもしろかった。

どこにでもいるような町の人がたくさん出てくるだけだったけど、また見ようと思う。たぶん次週もどこにでもいるような町の人がたくさん出ると思うけど、それでもいいのだ。

編集もそれほどせず、垂れ流しのような内容だけど、鶴瓶が引き寄せる数々の縁に触れる瞬間がすごく感動するんだ。

人工的で大掛かりなハプニングよりも、偶発的で些細なハプニングにドラマを感じる今日このごろです。

以上。




英語を勉強しはじめて五年が経った。

読み書き、またヒアリングはそこそこ使い物になってきたが、英会話というものはまったくと言っていいほど上達はおろか、進歩がない。

そもそも会話というものは、インタラクティブなやり取りを行うことで、情報交換のことである。つまり、インプットとアウトプットを瞬時に英語というツールを使ってやらなければならない。

で、ぼくが英会話でつまづいている点は、このアウトプットができず、自分の言葉で話すことがすごく苦手なのである。

つまり、英語を英語のまま理解し、発話に至るまでの訓練をしなければならないのだ。


ということで、オンライン英会話を始めることにした。

現時点でオンライン英会話のサイトは数十社あり、QQイングリッシュやレアジョブなどはすごく有名である。

加えて、どの会社も無料体験を簡単な手続きでできるため、自分の条件に合った会社を見つけやすく、無料体験をはしごするだけでそこそこ勉強できたりする。

今回ぼくが入会したのは新しく開設されたDMM英会話というサイト。

DMMは以前から動画サイトで有名だが、そのノウハウを活かして新たな事業展開を始めたのね。

そこに決めた理由は単純で、期間限定割引がとても安かったからである。なんとなんと、二ヶ月間90%割引!!

ズバリ、1000円!!

ということで、自己投資が重要だと自分に言い聞かせながら、入会してみました。


あれから一週間経過し、少しづつ英会話に慣れてきた。

DMM英会話のスタッフはすごく丁寧に教えてくれて、無料のレッスン教材も使いやすい。

もう少し続けてみて、そこで改めて感想を書きたいと思う。

英会話って、すごく勇気がいることだし、恥も外聞もないという境地に達することが重要だったりする。

だけど、引き換えに得るものはとても重要だと、英会話をするたびに心から思うんです。

以上。



 


オチをつけて話すことが定着しているように思う。オチがないと、「面白くない」とか「すべった」とか、なにかとネタにされてしまう。

関西などのお笑い文化が定着していた地域では、以前からお笑いに対して凄くシビアだった。問題なのはどこにあるか分からないような地方ですら、お笑いかぶりというか、似非お笑い通が増えているのである。


なぜ、このような事態になってしまったのか。

一つの理由として、お笑い番組の数が増え、笑いに接する機会が増えたことがあげられる。

テレビの予算が削減されたことで、身ひとつで場を盛り上げてくれる芸人は重宝され露出が増える。そして賃金も安く、融通がきく。芸人がテレビに露出する理由はここにある。

また番組の中で、ダメ出しをネタにしたり、笑いの解説など、お笑いのテキストのようなものが出来上がり、一般人の間にも浸透してしまったことがあげられる。インターネットの普及により、データーベース化されたともいえる。

そしてそれは”パターン”という言葉に集約される。パターンというのはお笑いの方程式のようなものである。ダチョウ倶楽部の団体芸など、典型的な例である。もちろん、それを操ることで必ず笑いが起こるわけではない。だが、一般人でも操れるほどの簡単なパターンも存在するのである。
もはや一般のコミュニケーションのレベルまでお笑いの数々のパターンは浸透してしまったのかもしれない。


そしてやっかいなのは、芸人が爆発的に増えていることではないだろうか。

なぜ、やっかいなのか?

それは芸人の数が増えることによりランク分け、プロレベルからアマチュア、そして素人レベルの芸人まで様々な層ができてしまうからである。もちろんそれは以前から存在するけれど、全体のパイが増えることで思わぬ障害が生まれるのである。

マニアックな芸が増え、少ないポディション争いをしなければならない。テレビに出るために必要なのは技術やテクニックではなくなった。キャラやインパクトがあれば、名を馳せることができるのである。

そしてレッドカーペットが象徴的だったけど、芸人の使い捨てが始まった。携帯電話の新機種が発売されるとすぐに買い換えるように、芸人も機種変更されていく。

流行というものは少しづつ広がり浸透していくものだが、ツイッター・フェイスブックなどのツールにより一瞬で共有できてしまうようになった。そして多様な価値観の中で、流行は一夜の祭りに過ぎないだろう。

つまり、需要と供給のバランスが完全に崩壊してしまったのである。


以前は派閥というものがあり、タブーが存在した。共演NGはよくあることだし、視聴者であるぼくでさえ、ブラウン管越しに理解できた。群雄割拠の戦国時代だったと思う。

だが、今はどうだろう。お笑い戦争は終わり、平和になった。馴れ合いからは何も生まれない。決まりきった身分の中でオンリーワンだけを目指す、くだらない世界だ。そこに誰が魅力を感じるのだろうか。オンリーワンの先にナンバーワンがあり、それをストイックに追求してこそ、新たな価値が生まれるとぼくは信じている。

遥か彼方上記で素人を侮辱したけれど、本当に問題なのは、素人でも真似できるような芸しかできない芸人が量産されていることなのではないだろうか。

なんか切ない。

書きたいことはまだまだあるけれど、今日はこのへんにしておこう。

とりあえず、箇条書きだけして、メモメモ。

・テレビの予算がどんどん削られて、大掛かりなことができなくなっている。
・テレビへのクレーマが増えて、好き勝手できない。(もちろん制限も重要)
・視聴者が寛容ではなくなっている。
・お笑いの細かいルールが増えすぎたこと。
・現在の価値観の中での、お笑いのパターンが出尽くされたこと。
・笑いを表現する場所(テレビ・ラジオ・舞台)が、限られていること。新たなツールへの試みが感じられない。

などなど。

キリがないので、このへんで。

てか、今はテレビよりもラジオのほうがすごく可能性を感じるね。ジャンク・ANN・サンドリとか、ちょー面白いし。ハガキ職人も本当にセンス感じるし。

個人的におすすめですww

てことで、今度はラジオについて語ることにしよう。

お笑い論というか、テレビ批判になってしまったよ。


とまあ、お笑いについて綴ってきたけど、お笑いが面白くなくなることはぼくにとって本当に悲劇でして。

これからどうなるのかは、笑いの神のみぞ知るということでして。

本日は以上なり。