上京物語 浅草橋からのプリズンブレイク① | センテンスサワー

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四年前に四国から上京してきた。東京に来ること自体、学生時代に修学旅行で来たきりで、改めて人の多さやビルの高さにとても驚いた。

上京して来た理由はいくつかあるのだが、学生時代から付き合っていた彼女に振られたことが一番の理由かもしれない。

結婚し、婿養子になる予定だったんだけど、互いに都合があわず、疎遠になり、自然消滅しかけたタイミングで、「好きな人ができた」てきなことを言われて、別れることになった。

辛かった。とても辛かったけど、それがエネルギーとなり、ぼくを成長させてくれたから文句を言うつもりはないが、やっぱり腹は立つ。


四国から夜行バスで上京して、はじめは浅草橋のシェアハウスに住んだ。家賃は3万ほどでとても安くて悪かなかったんだけど、住人の民度の低さが異常で、とても住める環境ではないと思った。

当時、シェアハウスといえば、新しいライフサイクルのひとつとして人気であった。テラスハウスなどの男女の出会いの場としても機能していたし、リア充を体現しているような感じでもあった。

また、起業家の家入氏の試みにもとても関心があったし、新しいコミュニティとはどのようなものなのかとか、またそこの場がどのように人を結びつけ、機能していくのか、など、当時のぼくはとても関心があった。

だが、いざ、自分がそこに身を置き生活してみると、予想と理想とは程遠いもので、ただ人が寝るだけの巣窟であった。台所とシャワーとトイレが共有スペースなんだけど、そこはゴミが散らかり、誰も片付けない。そこは、やりたい放題の臭い場でしかなかった。

金がないから仕方がない。収入も、貯金もないけれど、どうにかここから逃げださなければと思った。


仕事が決まったら退去しようと思って転職活動を頑張った。未経験の業界だったため弱気になっていたのだが、すぐに内定をいただくことになった。もちろん即決して、翌週から入社することになった。

懸念点はいろいろあった。前職では求人広告の営業をしていたため、その会社の事情もなんとなくわかったし、未経験を採用する時点でその会社の様子はわかった。

だが、今回の転職の理由は、技術を身につけることと、お金を貯めること。すでに腹を決めていたし、修行僧みたいにしゃかりきに働くとも決めていた。

入社して二ヶ月ほどでそのシェアハウスを出ることにした。寂しさは微塵もなく、次への期待で胸が踊っていた。お金がないから、次もシェアハウスと決めていた。まだ、一人暮らしするには早い。そもそも東京で一人暮らしという発想自体、当時のぼくにはなかった。


ちょうど四年前の今頃である。カバン二つというありえない少なさの荷物だけ抱えて、ぼくは次のシェアハウスに移った。

一度下見はした。前回のシェアハウスとは違い、少しだけ家賃をあげたため、前回ほど酷くはなかった。むしろ、リノベーションした一軒家の外観がテラスハウスっぽいと胸が踊って、熱くなった。四国の田舎もんが、涅槃の思想に見切りをつけ、資本主義を肯定した瞬間でもあった。

ぼくは、これまでの人生でお笑い以外に承認を求めようと思ったことは一度もない。お笑いだけがぼくを承認し、包摂してくれたと思っている。だから、お笑いに、命の恩人に、恩返しをしたいというのがぼくの人生のすべてだと思っていた。

だが、だ。資本主義がすべての世の中で、本当にそれでいいのか?という悪魔の囁きが聞こえ始めた瞬間だった。

悪魔はぼくに囁き、「お笑いは捨てろ!お笑いから解放されて、好きなことをしろ!」と繰り返した。

ビートたけしが育った町にぼくはやってきた。足立区のシェアハウスである。荒川では、作られたライフスタイルに踊らされた休日のサラリーマンがみんなが身につけているトレーニングウェアを着こなしみんなと同じようにランニングしている。子供はとりあえずみんなと同じように野球をし、みんなと同じようにサッカーをしている。ホームレスですらみんなと同じように空き缶を拾い、みんなと同じようにダンボールを集めている。

資本主義の社会に片足を突っ込んだぼくは、この人たちと勝負しなければならないのかと絶望した。勝ち目がないと思った。でも、言葉にできないが、欲望が発露し始めていることを感じ取り、彼らがやっていることが楽しそうだと図らずも思ってしまっていた。




とりあえず、実話です。
次回も同じような感じで書こうと思います。
お笑い論もまとまったら書こうと思います。
忙しくて書けないという、社会人の言い訳を使って、弁解だけしておこう。
以上。