沖縄空手と大山倍達秘話 | 沖縄の文化と歴史ブログ

沖縄の文化と歴史ブログ

本土と違う沖縄の文化と歴史を書き綴るブログです。

昨日に続き空手ネタです。


沖縄空手は元来、琉球王国時代に士族の間で一子相伝の秘術として伝えられてきた武術です。


そして琉球への薩摩侵攻によりその技がさらに磨かれてきたといわれています。


武器を持たない素手で戦う格闘技である空手は実は拳による突き、足による蹴りだけではなく関節技や投げ技も含む総合格闘技だったのです。


そして武器の代わりに農具等を利用した古武道も発達してきました。

ですから昔の空手家は素手による武術のみならず古武道の達人でもあったそうです。


沖縄空手を日本本土に初めて伝えたのは本土空手の父といわれる船越義珍でした。

1922年に船越義珍は空手演武を東京で公開したそうです。


実はあの牛殺しで世界的に有名な大山倍達も船越義珍の弟子だったとのことで当時、船越義珍のボディガードを務めていたそうですから驚きです。


私は20代の頃、極真会本部にて大山倍達先生の下、空手を学んでおりました。


当時、大山先生は常々空手に対してこういうことを言っていました。


「空手は沖縄が発祥の地ではなく人類が誕生した頃から世界各地で自然的に発祥したものである」


私は最近までこの言葉に対して常に疑問を持ち続けていました。

何故大山先生はそういうことを言われるのだろうか?


当時から現在まで大山先生は東京出身ということになっていますが実は韓国出身だったのです。

いわゆる在日ですね。


青年時代に父親とケンカ別れの上、日本に密航してきたとのことです。

その後、日本国内で民族運動をしながら空手修行にのめり込み日本人空手家としてその存在を揺るぎないものとしたわけです。


同郷の格闘家にはあの有名なプロレスの国民的英雄、力道山がいます。


大山倍達本人は幼い頃は満州で育ったと言っていましたが実はそうではなく韓国で生まれ育ったのです。


大山先生の独特のイントネーション、アクセントの日本語はそのせいだと言っていたのですが、当時の私達はそれを何の疑いもなく信じていたのです。


そして空手発祥の地は沖縄ではないという発言は実はそこに隠されていたのです。


韓国にはテコンドウという空手に似た武道がありますが大山先生はそれを理由に韓国にだけは極真空手の進出はしていないとのことです。


この意味は母国である韓国のテコンドウを尊重していたということに尽きると思います。

沖縄だけではなく韓国にも沖縄の空手と同様の武術があるというわけですね。


世界各国に日本から日本人として極真空手を広めた大山先生ですが一方で母国韓国に対する思いはとても強かったわけです。


本人は生前、オリンピック等での競技においてはどうしても日本よりも心は韓国を応援していると明かしています。


しかし大山倍達は韓国人でありながら、その精神は日本人以上に日本人であったといわれています。

それは出生は韓国であってもその心は紛れもなく日本の武道家であったということです。


宮本武蔵をこよなく愛し、人生の師匠と仰いでいたのも頷けます。

「牛殺しの大山倍達」以外には「昭和の武蔵、大山倍達」ともいわれていますからね。


沖縄発祥の空手を世界に広めた大山倍達の功績は誠に大なるものがあります。


大山倍達先生の御冥福を心よりお祈りいたします。


押忍!!