尚巴志(ショウハシ)の三山統一と琉球王国の誕生 | 沖縄の文化と歴史ブログ

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沖縄が琉球と呼ばれていた14世紀頃、沖縄は三山といって北部の山北(北山)、中部の中山、南部の山南(南山)に分かれて戦国時代だったのです。


北山は今帰仁城、中山は浦添城、南山は南山城を拠点としていました。

そして1429年に三山を統一したのが当時の中山王、尚巴志(ショウハシ)でした。


三山を統一した尚巴志は佐敷按司、思紹(シショウ)の子として1372年に生まれ21歳で父の後を継いで佐敷按司となり30歳の時には島添大里按司を滅ぼして勢力を広げました。


ちなみに按司とは領主という意味でありその地域を治めていたいわばドンということですね。


その後1406年に中山王、武寧を滅ぼして父である思紹を中山王の王位に付けました。


さらには1416年に北山王、攀安知(ハンアンチ)を滅ぼし1429年には南山王、他魯毎(タルミー)を滅ぼして念願であった三山統一を成し遂げました。


そして尚巴志は三山統一後に第一尚氏王統二代目の王様となったのです。


実はこの三山統一により琉球は事実上、一つの王国となったわけで三山統一後、整備された首里城は三山統一のシンボルとも言えます。


三山分立から三山統一と琉球は戦国時代から平和の時代となったわけですがその後、王統内部の権力争いが起きます。


それにしてもいつの世も権力争いは絶えないものです。


それではまた!