「♪バナナン、バナナン!」
「誰か助けて~!」
「♪バナナン、バナナン!」

道場内を逃げ回っていたニシカワは、「ひ~っ!」と悲鳴を上げると外へ逃げていった。
「♪バナナン、バナナン!」
ニシカワを追ってTが道場の外に出ようとしたのだが、
「♪バナ…どごわぁっ!」


ゴ~~ン
という除夜の鐘のような音が道場を揺らしたと思ったら、扉の前でTが頭を抱えてうずくまっている。
どうやらスキップが高すぎて、鉄骨製の鴨居に目から火が出るくらい、しこたま額を打ちつけてしまったらしい。




バナナの唄は、
「とんでったバナナ」というのが正式名称である。
飛んで行ったバナナがどこへいったのかというと、
小鳥につつかれ、
ワニと踊って、
最後は髭を生やした船長が昼寝をしているところに「スポン」と落下して、
そのまま食べられてしまうというバッドエンドである。

バナナン、バナナン、バーナァナン!!
 
「♪バナナン、バナナン・・・そうや!これがオレの本当の姿や!」

実の息子の本当の姿をご両親が知ったら、さぞお嘆きだろう。
17年間の年月、手塩にかけて育ててきた長男の真の姿が「バナナン男」である。
「よくぞ私たちの子供として生まれてきてくれた」と、生まれたばかりの天使のようなTを強く抱きしめて以来、幾多の苦難を乗り越えてきた夫婦。 
やれ「熱を出した」だの「転んでケガをした」だの、幼いTは両親に心配のかけ通し。
それでも最大級の愛で息子の成長を見守ってきたはずだ。
末は博士か大臣か、いやいや慈悲の心をもって周囲の人を幸せにする、そんな人物になって欲しいと願ってきた親心。
しかし17年後、その珠のような赤ん坊は両親の期待を裏切り、「バナナン男」と化し、嘲笑を受けている。 
人間、「これがオレの本当の姿や!」という宣言は、なかなかできるものではない。

よほど先輩たちの引退が嬉しかったのだろう、冷ややかな後輩たちの視線も気にせずに、両手をポケットに突っ込み、背筋をピンと伸ばして高らかに歌い、軽やかに跳ねるT。バナナンが止むことはない。
「さあ~おまえらもオレに続け!サン、ハイ!♪バナナン~」 
どうやら一人でラウンドするのに徐々に飽きてきたTは、今度はお供を従えてグルグル回りたくなったのだろう。
掃除中の後輩たちにしたらいい迷惑である。
物理的にも心理的にも邪魔な存在。
僕ですら「五月蠅いなぁ!」とちょっと腹に据えかねていた。

当然のことながら、Tの誘いは全員から無視されたのだが、ニシカワという後輩が、 
「イヤや~!Tさんイヤや~!」と抵抗した。
雉も泣かずば撃たれまい。
その一言でニシカワは完全にロックオンされてしまった。

「いいやんけ、おまえも歌えや!サン、ハイ!♪バナナン~」
今まで規則正しく、道場内を弧を描くようにグルグル回っていたTだが、今度は生娘を手籠めにする悪代官のように、後輩を追いはじめた。
こんなに嫌がっているニシカワが、「サン、ハイ!」という号令で、一緒に歌いだすとでも思っているのか。
 
「イヤや~!」と逃げるニシカワ、
「いいやんけ~♪バナナン、バナナン!」と歌いながらスキップで追いかけるT。
「やめて~こっちにこんといて下さい!」
「♪バナナン、バナナン!」
「ちょっと、ホンマに歌いませんって!」
「♪バナナン、バナナン!」
「誰か助けて~!」
 
♪バナナが一本あったとさ 
青い南の空の下
子供がふたりで取り合いっこ 
バナナはつるんと飛んでった
バナナはどこに行ったかな
バナナン、バナナン、バ~ナァナン!♪
という歌をご存じだろうか。
 
高校時代の親友Tは人見知りが激しかった。
嫌いなタイプとは口を利かないし、
好きでも嫌いでもない相手とも口を利かない。 
だが、ひとたび心を許した相手にはよく喋るし人懐っこかった。
心を許した相手のことは何があろうと絶対に裏切らないが、
それまでの信頼関係を構築するのがやたらと面倒臭い男なのだ。

そんなTが、陽気な性格を心置きなく発散できる桃源郷は、先輩がいないときの柔道部だった。
柔道は弱いが笑いのセンスは抜群の柔道部、人を笑わせることに関してはみんな有段者で、僕たち部員は笑いで腹筋を鍛えていたといっても過言ではない。
体育会系のクラブにはよく
「○○が済むまで帰ってはいけない」という厳しいしごきがつきものだが、
うちの場合はよく「センパイを笑わすまで」という、柔の道とは一切関係のない厳しいノルマが課せられた。
そんな柔道部だから、せいぜい市民大会の準優勝どまり。
勝利の女神は一度たりとも訪れなかったけど、笑いの神々は多くの奇跡と感動を与えてくれた。

2年生の夏、とうとうTにとって、目の上のタンコブである先輩たちが引退した。
Tの頭上にどんよりとかかっていた黒い雲が去り、虹色の光が差し込んだに違いない。
よほど嬉しかったのだろう、先輩たちが帰ってしまうと、Tは道場の中を軽やかなスキップでグルグルと回りだしたと思ったら、突然バナナの唄を歌いだした。
道場の掃除をしていた後輩たちはTの豹変に驚いて、キョトンとした顔で彼を目で追っている。

「♪バナナン、バナナン」と大声で歌いながら有頂天なT。
「Tさんが壊れた」と、ざわざわと後輩たちが心配しはじめたのだが、
「おまえらに紹介しよう、あれが本当のTや!」と、僕は情けない告白をした。
「今まで黙っていて悪かった」と。
すると、そんな僕の情けない気持ちも知らずに、強烈な躁状態のTも元気よく叫んだ。

「♪バナナン、バナナン・・・そうや!これがオレの本当の姿や!」