過去の自分を振り返ってみると

とても感情の起伏が激しかったし

すぐに人の意見に流されていたし

 

起こってくる出来事に一喜一憂して

揉みくちゃにされていました

 

我慢が美徳だと思って我慢を重ねて

自分が一体何をしたいのかさえ

分からなくなっていました

 

そんな私がむかし元旦那さんから

「クールでドライ」だと

言われたことがあります

 

もちろん良い意味ではなく

否定的な意味で・・・(苦笑)

 

大阪で結婚生活を送っていたのですが

最初の子を出産して退院してくると

赤ちゃん用の知育玩具やら絵本のセットやら

訪問販売の人が次々と来るようになりました

 

きっと秘密の連絡網があるのでしょう(笑)

 

その中に、赤ちゃんの手形と足形を

立体造形にして金箔で覆って額に入れる

というものがありました

 

手形か足形の一方だと5万円で

両方だと10万円というのです

 

あまりにシュールでケバケバしいのと

値段の高さにビックリして

速攻で断りお引き取り願いました

 

するとそれを見ていた元旦那さんが

「クールだね」って言ってきました

 

「はあ?」

 

誉め言葉でないことだけは

瞬時に理解できました

 

「あの金ピカのやつ欲しかったの?」

 

「子どものためなら

 5万や10万くらい払ってもいいと思った」

 

あの金ピカの手形と足形が

どうして「子どものため」になるのか

さっぱり理解できなかった私は

 

「あの金ピカのやつを壁に飾りたいわけ?」

って訊いたら

 

「子どもが結婚するときに

 持たせてやってもいいだろ!」

って(キレ気味で)言うのです

 

「あんなもの持たされても

 子どもも迷惑でしょ!」

って(私もキレ気味で)返したら

 

「ドライだね!」

と捨てゼリフ

 

毎日切り詰めて生活しているのに

なに考えてんだあ~!

 

って、半分呆れながら半分怒りながら

私はおしめを取り換えていました

 

そんな過去を思い出していたら

ひとりでクスクス笑ってしまいました

 

この私が、クールでドライだって~!

 

一度でいいから「クールでドライな女」

になってみたいと思っていたのに

 

もう既に元旦那さんにとって私は

「クールでドライな女」だったんだ~

 

そして「○○な人」という意味づけは

本当に意味がないなって思いました

 

だって、とても感情的でヒステリック

だと自分でも認めていた私が

ちょっと視点や状況が変わるだけで

クールでドライな女に

変身してしまうのですから(笑)

 

色々な人間関係の組合せの中で

きっと誰もが一人何役も演じている

に違いありません

 

だから自分が知っている側面だけを見て

「○○な人」という意味づけは

もうやめようと思います

 

人に対しても

自分自身に対しても

 

そういえば少し前に

「家庭的だね」って

言ってくれた人がいました

 

私は即座に否定しました

 

だって料理も下手だし

今まで「家庭的だ」なんて

言われたことなど一度もなかったから

 

でも今は時々思うのです

 

相手や状況によっては

家庭的な女にもなれるんじゃないかなって

(たまに料理が美味しいことがあります^^)

 

その時その時

自分に余計な意味づけをせずに

自然体で振る舞っていれば

人は何役もこなせる名俳優

になれるのかもしれません

 

その瞬間その状況で

ハートが望む自分を

自然体で演じることができるなら

 

素敵な「クールでドライな女」にだって

なれそうな気がしていますラブラブラブ音譜