今年の誕生日は
かつて彼と行ったことのある
美術館へ行こうと思い調べていたら
その美術館の近くにある日本橋高島屋で
民俗学者・折口信夫氏の「まれびと」の概念
をテーマにした展示をやっているという
もう何年も前に、何かのテレビ番組で
「まれびと」について聞きかじり
漠然とだが強い印象を受けたことを思い出した
「まれびと」とは
異界からやってくる人間を超えた存在で
ほぼ「神」と同義語だと理解している
日本古来の祭りは
「まれびと」を迎え入れ
まれびとと人間がひとつになることで
人間は人間を超えた存在になる
という意味を持っていたらしい
祭りとは本来
神さまに何かお願いする儀式ではなく
人間と「まれびと」が一体となる
ための儀式だったようだ
そんな内容の写真や映像資料を
鑑賞しながら進んで行くうちに
展示の最後の方で岡本太郎氏の
写真や作品に出くわした
あれっ、今年の誕生日も
岡本太郎さんに出会えるなんて!
太郎さんも「まれびと」に
強い関心があったらしい
昨年の誕生日は
満天の星を観るために行った
川崎のプラネタリウムの近くに
岡本太郎美術館があった
ついでのように立ち寄った美術館で
たくさんの太郎さんの作品に
「既成の概念を打ち破る!」
という気迫が感じられて
それまでの枠にはまった自分の価値観を
大いに揺さぶられる体験をしたのだった
今年の誕生日も
なんとなく興味を引かれてやってきた
折口氏の「まれびと」の史料展示室で
図らずも太郎さんの作品やメッセージに
出会えるなんて!
なんだか岡本太郎さんと繋がってる
ような気がして嬉しくなり
気がつくと「岡本太郎氏」ではなく
「太郎さん」呼ばわりしていた(笑)
太郎さんが撮った祭祀などの写真と一緒に
太郎さん自身の作品もいくつか展示され
コメントも添えられていた
「人間でありながら
人間を超えている。
どちらでもあるという
その交錯に意味がある。」
きっと太郎さんは「まれびと」の存在を
肌で感じていたに違いない
だからこそ破天荒な作品を
次々と生み出せたのだろう
いや、私たちだってみんな
「まれびと」と切り離されているわけじゃない
ほんとうはひとつに繋がっている
ただそのことを思い出せないだけ
その大切なことを思い出せるように
人間としての生活に心を奪われて
忘れてしまうことのないように
古来の日本人は定期的に
「まれびと」を迎え入れる祭りを
行ってきたのかもしれない
「人間でありながら
人間を超えている。
どちらでもあるという
その交錯に意味がある。」
この太郎さんの言葉を携帯にメモしていたら
人間という枠の中だけで
生きる意味を探し回っていた私の心に
一条の光が差し込んできた
自分が人間でありながら
人間を超えた存在でもある
ということを
再び思い出すために
私たちはこの世に生まれてきたんだ
そのことをいつでも思い出せるように
日本古来のたくさんの祭りの中で
「まれびと」が表現されてきたんだ
「まれびと」は
「この世」と「あの世」をつないでいる
能の舞台で演じられる「翁」のような柔和な側面と
なまはげ等の「鬼」の恐ろしい側面を併せ持ち
この世の森羅万象に宿りながら
私たちが本当の姿を思い出す日を
ひたすら待ち続けている
この世界に生まれてきた理由を
教わったような気がして
この世界で生きる意味が
分かったような気がして
私は今年の誕生日を
特別な想いで祝福していた