八月のこの時期になると

思い出すことがあります

 

私が高校3年生のとき

英語の文法の先生が

ご自身の戦争体験を

話してくださいました

 

南方の島で戦っていたとき

一人の島民が目の前に

連れてこられたそうです

 

おそらく敵軍と通じていたのでしょう

 

そして銃ではなく

大きな太刀をわたされ

その島民をその場で殺すよう

上官に命令されたと言います

 

戦時下で上官に背くことなど

許されない時代でした

 

「その時の情景は悪夢として蘇り

 今もなお、うなされています」

 

先生は一点を見つめながら

そうおっしゃいました

 

被害者としての立場からの

戦争体験はたくさん聞きましたが

 

加害者としての立場から

戦争体験を聞いたのは

そのときが最初で

そして最後でした

 

その先生は毎年、

高校3年生の授業で

自身の戦争体験を伝えることを

自分に課していたそうです

 

その決意には

殺してしまった人に対する

供養の意味も込められていたのでしょう

 

戦争の被害者になるのも悲惨ですが

戦争の加害者になる体験はもっと悲惨で

心に深い傷を負うのではないでしょうか

 

戦争から戻ってきた人が

まるで人が変わったように

お酒を飲んで荒れるようになったとか

 

ふさぎこんで家族には戦争の話など

ひと言もせずに亡くなった

という話を何度も聞いたことがあります

 

お国のためだとか

家族を守るためだとか

いくら大義名分を掲げても

 

人を殺すという経験は

心に深い闇を生み出す

に違いありません

 

誰だって加害者として

人を殺したことなど話したくないし

できれば無かったことにしたい

 

だけど、そんな心の闇に向き合い

そのときの想いを正直に言葉で表現し

30年以上経っても癒えない戦争の傷跡を

戦争を知らない世代へ伝えていく

 

その先生の決断は

簡単なことではなかったはず

 

だからこそ

被害者としての戦争体験よりも

はるかに説得力をもって戦争の悲惨さを

私たちの胸に刻み込んだのだと思います

 

現在も戦争の話になると

「一方が善で、他方が悪」

であるかのような論調を

耳にすることがあります

 

国どうしの複雑な政治の裏事情など

私たちには知るよしもありません

 

そんな私たちにできることは

善と悪という単純すぎる論理に

振り回されることなく

 

戦争の悲惨さと愚かさを肝に銘じ

被害者の想いだけでなく

加害者の想いにも寄り添い

 

けっして戦争などしてはならないと

一人ひとりが決意を固めていくこと

ではないかと思っています

 

授業の最後に

先生は静かに言いました

 

「君たちは絶対に

 戦争なんかするな」

 

これまでの生涯で

いちばん心に沁みた

反戦の祈りです