先日、義理のお姉さんから

電話がかかってきました

 

雨上がりに比叡山を背景にして

琵琶湖から立ち上がる虹を見つけ

 

この虹は幸せの象徴だから

お友達にお裾分けしたい!

と思って写真を撮ったそうです

 

その時に撮った虹の写真を私にも送りたいので

LINEでお友達になろうと誘ってくれました

 

幸せのお裾分けだなんて

素敵!

 

送ってもらった写真を眺めているうちに

しみじみと幸せが広がっていきました

 

もちろん虹の写真も素敵なのですが

色々な人に幸せのお裾分けをしたい

と思ったお姉さんの気持ちが

とても素敵だと思いました

 

そしてその中に

私を加えてもらったことが

なにより胸にジーンときたのです

 

なぜなら本音をズバズバ言ってくる

お姉さんのことが好きになれなくて

敬遠していた時期があったから

 

考えてみると

私の母もそうでしたが

思ったことを遠慮せずに言ってくる人が

私はずっと苦手でした

 

もう少し相手の気持ちを考えて

発言したらいいのに・・・

 

だから私にとって

「裏表がない」ということは

決して良い意味ではありませんでした

 

裏と表を使い分けるのが

大人のマナーだ!

とさえ考えていました

 

だから私は本音を押し隠して

相手の反応にビクビクしながら

体裁ばかり取り繕っていたようです

 

そして我慢の限界に達すると

爆発して感情的になって

ケンカ腰になってしまうのでした

 

そうなると

相手のことを理解しよう

・・・などという気はさらさらなく

相手をやっつけることしか

頭にありませんでした(苦笑)

 

送られてきた虹の写真を見ながら

そんな未熟者だった自分のことを

つらつら思い返していたら

 

私は一時期お姉さんを嫌っていたけど

お姉さんから嫌いだという態度を

示されたことはなかったなあ

と、いまさらながら気がついて

泣きそうになりました

 

本音をぶつけてくる相手の

その裏にある気持ちを思いやろうともせず

私はいつも相手の言葉を真に受けて

怒ったり傷ついたりしていただけ

 

「私は傷ついた」とか

「あの人はわがままだ」とか

勝手に意味をつけていただけ

 

そんな言葉をぶつけてくるのは

どうしてなのかな?

って、思いやることをしなかった

 

あなたはそう思っているんだね

って、受け止めてあげなかった

 

私はそうは思わないよ

って、本心を打ち明けなかった

 

相手の言葉に反応して

湧き上がってくる感情に

ただただ振り回されていただけ

 

なのに、そんな私に対して

お姉さんは「嫌い」って

背を向けたりしなかった

 

なんとか分かり合おうとして

本音を伝えつづけてくれていた

 

勝手に背を向けて

敬遠していたのは

この私だけだった・・・

 

本音を言うことはわがままだ

って思っていたけれど

 

それは私が勝手につけた

意味づけにすぎなかった

 

これからは

誰かに本音をぶつけられたら

 

そうか、君はそう思うんだね

だけど、私はこう思うんだよ

って、ちゃんと本心を伝えよう

 

琵琶湖から立ち上がる虹を眺めながら

これからはお姉さんと本当の意味で

分かり合っていけそうな気がしてきました

 

そして、お姉さんからもらった幸せを

私からもすべてのブロ友さんに

お裾分けしたいと思いました