私はこれまで表面意識では

人に嫌われて辛い思いをしたことがない

と思っていました

 

なのに先日、心の深いところから

「人に嫌われたらどうしよう」という不安が

ふつふつと沸き上がってきます

 

どうやら心の奥底に

人に嫌われることに対して

強い怯えを隠しているようです

 

これまでの人生のなかで

人に嫌われた経験はたくさんあるのに

どうして辛い記憶がないのだろう

 

そのとき思い当たったのが

人から敵対心をぶつけられた時に

私が取ってきた常套手段でした

 

誰かから攻撃された(と思った)とき

私は心の中で(・・・時に口に出して)

相手のことをケチョンケチョンの

コテンパンにケナした挙句(苦笑)

 

「ふん!」と背中を向けて

相手を自分の世界から締め出してきたのでした

 

私は嫌われたと察知した瞬間

反射的にこの常套手段を繰り出し

二倍返しで(笑)相手を嫌うことで

辛い思いを記憶から消し去っていた

にちがいありません

 

それほどまでに私の心は

人から嫌われることに怯えていたようです

 

嫌われたことに向き合えなかったのは

私の欠点を指摘されると思ったから

 

自分でも欠点を自覚しているのに

人から指摘されるのは耐えられなかったから

 

世の中には「自分のことが好き」

と言う人もいます

 

そんな人を羨ましく感じながらも

「現実の自分を客観的に見ていないから

 そんなことが言えるんじゃないの」

って、密かに思っていました

 

誰だって欠点があるはずなのに

どうして自分が好きだなんて言えるの?

 

つまりそう思っている私は

「欠点がある自分」を嫌っていました

 

隠している自分の欠点がバレてしまったら

みんなに嫌われてしまうと思って猫をかぶり

しだいに猫をかぶることに疲れ切って

人との関わりを避けていたようです

 

私のことを受け入れてくれると

安心して思える人だけに

自分の世界を狭めていきました

 

そしてどんどん自分の世界が

狭く小さくなっていきました

 

そこまできてようやく

これでは何の解決にもならないと

気づきはじめました

 

このままでは

永久に自分を好きになれない

 

人から嫌われることに怯えている自分に

向き合ってみました

 

そうか、怖いんだね

 

・・・

 

これまでに欠点があっても私のことを

好きになってくれた人たちを

思い出しました

 

そういえば最初は私を嫌っていたのに

好きになってくれた人だっていました

 

そんなに怯える必要はなかったのにね

 

自分を守るために必死で相手を攻撃していた自分も

欠点があるから嫌われると思い込んでいた自分も

欠点を隠そうと懸命に猫をかぶっていた自分も

 

ずっと寄り添い見つめ続けていたら

悲しいけれど、笑っちゃうほど可愛いなあ

って思えてきました

 

切ないほど悲しい自分も

愛おしいほど可愛い自分も

両方そろってありのままの自分です

 

そう思えたとき

ふわっと心が軽くなりました

 

人を好きになったり嫌いになったり

人から好かれたり嫌われたり

 

そんな揺れる気持ちを素直に

誤魔化すことなく感じながら

この現象世界でしか味わえない経験を

楽しんでいけたらいいなと思います