昨日、関西で一人暮らしをしている

大好きな叔母から電話がありました

 

高齢の叔母は手の指が不自由になり

年賀状を書けなくなったため

こちらが出した年賀状を見て

毎年電話をくれるようになりました

 

美人のうえに家事全般が得意で

何でも上手にこなせる人だったので

ままならないことが増えていくのは

人一倍つらいだろうと推察します

 

三度の手術を経て体の痛みを抱えながら

それでも気丈に明るく話をする叔母に

頭の下がる思いでした

 

叔父が遺してくれた家を離れる気はないようで

私から施設を勧めることはできませんでした

 

叔母はとても社交的な人なので

いつも楽しくおしゃべりをするのですが

今年はいつになく弱音が混じっていました

 

どんな人生でも

精一杯生きていけばいい

 

そうはいっても

体の痛みが絶え間なく続くとき

生きること自体がどんなに辛いか

経験しないと分からないものです

 

私が絶え間ない痛みに苦しんでいたとき

叔母は電話で話を聞いてくれました

 

話を聞いてもらったからといって

痛みが和らぐわけではなかったけれど

折れそうな心はかろうじて

踏ん張ることができました

 

誰かが勇気を出して困難を乗り越えたとき

その経験は宇宙全体の叡智となって

他の人たちを助けるエネルギーになるのだと

聞いたことがあります

 

そして自分の経験から

それは本当のことだと実感しています

 

電話で話しているあいだ

私には叔母を元気づける言葉が

何ひとつ見つかりませんでした

 

でも、たくさんの人たちの

困難な人生を生き抜いた経験が

宇宙のエネルギーとなって

きっと叔母を支えてくれるでしょう

 

そして今度は、私が叔母の弱音を

丸ごと受けとめる役割をしようと思います

 

人がお互いに心を寄せ合う優しさも

きっと宇宙のエネルギーとなって

この世界を包み込んでくれるはずだから

 

そして叔母の折れそうな心を

優しく慰めてくれるはずだから

 

叔母のように体の痛みを抱えながら

賢明に生きているたくさんの人たちを

大いなる宇宙の優しさが

包み込んでくれますように