私は一生懸命聞いていると思っていたけど
ちがってた。
一生懸命、自分が「共感できるポイント」を探しまくっていた。
一生懸命、一生懸命
必死に。
結局は自分がメインになってしまってた。
なんつーかまだうまく言えないけど。
共感って、無理やりするもんじゃないよな。
無理して共感されるのって、不快やもんな。
自分の感覚を、奪われるような感じ。
興ざめする。
共感てのは、
相手を一人の人として独立して観察することが前提なのかな。
あまり入り込むのは、共感とはまた違う。
相手の感情に巻き込まれすぎず、冷静に「目の前の人はそうなんだ」と捉える。
なんやろう。
私は人の話を、すごく自分の心とリンクさせなきゃ!って必死で、
話してても自分の内面に注意が行き過ぎて、
目の前の人への理解が欠けている気がする。
かといって、
冷静になりすぎると、テレビを見てる感覚になって、相槌や共感とかができなくなる。
つまり、
人との接し方がわからないってことやな。
面と向かってるときの心の距離。
でもわかってることもある。
そんな大げさにしなくてもいいってこと。
共感は無理やりするものじゃないってこと。
自然に共感できたとき、その場は自然と温もるし、その人ともわかりあえる。
私がオーバーリアクションをし始めたのは
中3のころで、
寂しくてモヤモヤしてたとき、
オーバーリアクションで話を聞くのをやってみた。
すると、目の前の人は楽しそうにしてくれたし、
きっと私と居たら楽しい!って思ってくれてるんや、
もう寂しくない、
居場所ができた、
これで必要としてくれる
って嬉しかった。
なんや、チョロいやん
人と仲良くなるのって。
って思った。
でも、そっから自分の思考とか価値観とか感情を無視するようになって、
本当の自分を出せなくなった。
どんどんどんどん、
周りの目を気にして、評価を気にして、
自分をコントロールするようになった。
そのツケは大きいよなあ。
はぁー
でも、まぁだいぶツケは返せてきたと思う。
社会で生きれてるしね。
失くした自分も取り戻せてきたし。
それが一番嬉しいな。
ずっと前より生きてる心地がある。
ほんまにやりたいことをやるために生きるねん。