強い「人に好かれたい」という気持ちを掘り下げる | ソラの『幸せをいつも心に』

ソラの『幸せをいつも心に』

なりたい自分を目指し、日々の記録や気持ちの整理・吐き出しをしています。
メンタルクリニック、心理療法は1月11日に卒業し、そこで得たことを活かして、頑張って生きています。

ほんまは、目の前の人に好かれたいし、構って欲しい、仲良くなりたい、認めて欲しい。


その気持ち、ずっとそれは昔から変わらない。

どん底になってから最近までは、その気持ちをいったん否定したり封じ込めて、
気持ちの整理や、気力の回復、「自分」の確立をしてきた。

そして今、やっぱり私の人生には他人の心が必要なんやと、他人の存在が必要なんやと、素直に認められた。

私は人が好きで、接するのは楽しくて。


やけど、好きモードに入ると、無理をして疲れる。
自分という基準から離れていって、あれ?これ私じゃないってなる。
無理に笑ったり、はしゃいだり、意見を言えなかったり、境界を示せなかったりする。
全面降伏、イエスマンになってしまう。

それじゃ今までと同じ。
好かれるために生きて、そのうち自分が死ぬ。
どーすればええかなぁ。

対等な意思疎通が怖くてできない。
意見を言えば、責任も出てくるし、
じゃあ任せるねって人も離れていく。
私は独り立ちできてない。
誰かに依存して、責任も追ってもらって、誰かの陰で誰かの力で生きようとしている。

子どもの頃、母親に「じゃあ勝手にすれば」って言われることが多くて、意見をすれば見放される体験が多くて、その度嫌われる、悲しい、寂しい、焦る、私には価値がなくなる、って焦ってイエスマンになったりしてた。自分の意見を曲げてた。そうする以外なかった。



相手にとって価値ある私でいなければならない。
だから、挨拶をするし、気をつかうし、意見を合わせる、ノリを合わせる、興味を持つふりをする、境界線を無くし都合のいい存在になろうとする。


好かれるには相手にとって価値ある私でいなければならない。
これが私の今まで、そして今現在の対人関係の考え。

やっぱり他者目線なんよな。

失礼なことを言ってはいけない、
踏み込んではいけない、
意見してはいけない、
愛想よくしなければいけない、
私のペースでいてはいけない、
迷惑をかけてはいけない。


好かれ方間違ってるなと思う。

禁止禁止禁止ばっかで、ガチガチじゃ、うまく心を開けない。
そんなんじゃ好かれない。
好かれても、ずーっとその禁止事項を破らないかビクビク、ピリピリしなければならない。


好かれ方ってどうすればいいの?

好かれたいって気持ちをまず無くすべきなの?

人に好かれたいイコール依存イコール責任負わなくていいイコール失敗しても責められない、危なくなったら逃げられる

逃げなければいけないほど恐ろしいことが起きると思ってる。死ぬんじゃないかってくらい。


人に好かれたいイコール依存イコール自分の幸せを他人に委ねる

それは嫌だ。

自分の幸せイコール…?わからん。

どんな接し方ができれば私は幸せなのか?

そこがまだ漠然としている。
とにかく人と接してあったかさとか楽しさとか安心を得たい。


1人でいても自分の世界を持てて、楽しめたりほっこりできれば、
他人にそこまで求めなくていいよな。


他人と接するのが好き、
だけど、1番は自分の世界、ペース、境界の確保。

そんな感じでいたらいいのかな。