散髪、服。私は人形だった | ソラの『幸せをいつも心に』

ソラの『幸せをいつも心に』

なりたい自分を目指し、日々の記録や気持ちの整理・吐き出しをしています。
メンタルクリニック、心理療法は1月11日に卒業し、そこで得たことを活かして、頑張って生きています。

幼い頃から小学校6年まで、
散髪はおばがしていた。

そのおばはヤンキーで、性格キツイし、
冷たいので、
苦手だった。怖かった。

おばは自分の娘にいわゆる身体的虐待を長い間していたことをここ何年かに知り、
当時の恐怖センサーは正しかったのだと、驚いたし、ぞっとした。

そんな人間に、パーソナルスペースに入られ、背後からハサミを向けられるのは、
とても怖かった。
耳周りや襟足に当たる冷たいものの感覚は今でも覚えている。


また、その出来がまだ満足いくものなら、耐える意味はある。


だけど、毎回、毎回、キノコ頭になっていた。
全然納得いかなかった。
またヤンキーがよくしていた「ウルフカット」に勝手にされて、
私はそんな性格じゃないのに!とすごく恥ずかしい思いをした。




小さい時は何も思わなかったけれど、
だんだん周りの子たちが可愛い髪型をしてるのが羨ましくなり、
なのになんで私はこんなダサい髪型をさせられなあかんの、と怒りでいっぱいだった。


でも、嫌と言ったって聞いてもらえないことをもう知っていた私は耐え続けた。
嫌で嫌で仕方なかった。



耐え続けて、小学校6年生のとき、
髪が肩まで伸びて、なんかやっと私も女の子らしくなってきた、今の髪型好きやなぁ、今の自分が好きやなぁと
女の子として自信を持てていたとき、
バッサリ切られ、キノコ頭になった。


泣いた。
なんでなんでなんでなんで!
鏡に映る自分が大嫌いになった。
近くに布切りバサミがあったから、
自分の髪を鷲掴みにして自分で切った。
両サイド思いっきり。
その時の切れる感覚も覚えている。

なんでそんなことをしたのか、わからない。
もう考えとか一切なくて、感情にまかせてした行動。


その頃からかもしれない、怒りとか恨みを自分に向け、それによって周りに意思表示するようになったのは。



ずっと溜まってきた怒り、不満、恨みが、
その相手ではなく、自分に向いた。

それほど、私は意思表示をすることを禁じられていたし、
自分に力があるとも思えなかった。

ただ耐えるだけしかなかった。

でも耐えられなくなった時、それは全て自分に向いてしまう。


おばへの恨み、
そしてなにより、母への恨みがあった。


なんでこんなに嫌なのにわかってくれへんの!
なんでずっと私をこんな目に合わせるん?

でも、母は私の気持ちを聞くことはない、
おばとの関係を優先する、
と、もうわかっていた。

絶望やった。
孤独やった。
誰もわかってくれない、と。


そして爆発。


悲惨な髪型で当分過ごした。
母は私を理容室に連れて行った。
近所の安い、古い、美容院ではなく、理容室。
まぁ、こんな扱いやろな、と思った。
そこの理容室のおばあさんに処置はしてもらったけど、
悲惨なことは変わりなかった。


やってもたなぁ。
みんなからどう思われるやろう。
なんかもうめんどくさいわ。

自分の感情や感覚を無視することで、学校には行けた。

おばにあったときも、感情感覚をぼやけさせて、適当に会話した。
それでも気まずさに息が詰まりそうだった。
罪悪感でいっぱいになった。
謝りたくなかったけど、謝らなあかんって気持ちがあった。

わけがわからなかった。
私が悪くなくても謝ってしまうこの起源はここなんかも。

それ以降、散髪はどうしていたのか思い出せない。

中3のとき、友達の勧めで初めて美容院に行ってみた気がする。

それまでは、おばに切ってもらっていたんかな…わからない。









服装についても、
母はセンスが悪かった。
着たくない服ばかりだった。
周りの子たち、特に幼馴染はオシャレでいつも可愛かった。
それなのに私は、変な形の地味な色の服ばかり。似合わない服ばかり。
耐えられなくて、母にこんなん着たくない!
って言った。
すると、じゃあもう捨てたらええやん!
と怒って、その服をゴミ箱に捨て、去って行った。
残された私は、罪悪感でいっぱいになり、
またこのままやと、今後この家で暮らしにくくなる怖さがあったため、
その服をゴミ箱から取り出して、着た。

ここでまた、自分の心を消した。
感覚、感情、価値観を消し、母と上手くやっていくことを優先した。

子どもにとって母と関係が壊れるということは、その家庭内で生きていけないということだから。




こういう2つのことがあったなぁと。
小さいときから、潰されてきてたんやなって。


髪型、服。
外見にまつわることで、自分の好きなようにできなかった。
我慢していた。
そして、嫌いなものを身に纏う自分のことを嫌いになっていったし、
オシャレをして、自分いいやん!って自信を持つことも、自分を肯定することもできなかった。
そして、そんな風に扱われる私は価値がない人間、
雑に扱われて当たり前の人間なんやなと、
幼心に心に刻まれていった。



これけっこう酷い話よね。
私って一体なんなん?
あまりに人格を無視されすぎて、
いやこんなに無視されるもん?!って笑ってしまうわ。


でも、なんやろ、怒れへんねん。
こんな酷い目にあっても、
きっとおばも母も、親にまともに愛されへんかったんやなって、同情してしまう。
怒れたらええんやけど、それが生きる力になるんやけど、
そういう残念な人たちを可哀想と思ってしまう。
怒るのは可哀想よ。
と、私の中の天使ちゃんが言う。

そして同情することで生きる力が奪われる。

いつまでも私は主体的に生きれない。



なぜか今怒れない。


母もおばもクソやなぁと思うけど、
なにこのブレーキ。
気持ち悪いなぁ。しんど。
これもきっと、生き延びるために身に付けた能力なんやろけど。
対象に怒りをむけることは、色んな危険を孕んでる。
それよりも、同情して、大変ねと思うことによって相手の懐に飛び込み安全を確保する。
あーこういう傾向あるなぁ。
これは、おじとの関係で身に付けたことやな。

私、頭使って生きてきたんやなー。
カウンセラーさんも言ってくれた、
私は頭がキレるって。

でも、そのせいで生まれた生きづらさもある。


何はともあれ、やっぱり私は癒されなあかんなぁと。
自分の感情感覚価値観を、いいんだよって言ってあげる。これが最も大事なことやって改めて思った。