東京15区の衆議院議員補欠選挙で「つばさの党」とかいう政治集団が、他候補の選挙演説中に執拗な妨害行為を行ったが、これに対して漸く司直の手が入った。私は現場ではなくユーチューブでのライブ映像等を観ただけだが、その乱暴な妨害は目に余るもので、応援弁士の演説は事実上全く聞くことは出来なかった。

 

保守党候補の飯山氏はその身近で行われた妨害行為に対し、身の危険を感じるほどでそれでしばらくは眠れない夜を過ごし、病を発症し医者から加療を要す診断を受けた。このような妨害を行った連中は、警察からは「警告」をされたようだが、選挙期間中は結局具体的な強制捜査もされず、事実上妨害は野放しとなった。

 

しかも選挙が終わった後も、保守党党首の百田氏の自宅周辺で「街宣」と称する示威行為をしていたとし、候補者宅にも行くぞと予告までしていたと言うから悪質である。今般このような行為に対し警視庁はようやく捜査を始め、関係者の家宅捜査等を行ったと報じられた。

 

まずは放置されたままであったことよりは、今後の一般予防の観点からも捜査が行われたことは良かったが、時機を失した捜査となったことも事実である。まず選挙の自由妨害罪を定めたことによるこの法が守るべき法益は、選挙活動が自由に行われ有権者にその主張がきちんと届けられ投票の判断の材料となることである。

 

そういう意味で言えば演説中の妨害行為を止めてこそその法益は守られるのであり、選挙が終わってしまってからでは、この法律が果たすべき役割は果たせない。しかも実際の妨害行為は警察の目の前でも行われていたと言う事実もあるのだから、そこで現行犯逮捕でもしていれば、法制定の意味はあったはずである。

 

警察が躊躇した理由は亡くなった安倍元総理が応援演説中に、執拗な悪罵を投げつけ演説を妨害したことで逮捕した結果、地裁レベルで妨害者が勝訴したことだとされる。その時の判決は悪罵としか言いようのない俗に言うヤジも「表現の自由」として保護されるべきで、これを拘束したことはこの自由を奪ったとされたのである。

 

この判決は妨害者の「表現の自由」を優位とし、演説する側の「主張を伝える権利」や、聴衆側の有権者の「聴く権利」を無視するもので不当なものであろう。この後者の権利を明確化する意味で公選法の改正も考えられているが、社民党の福島氏などが反対していることがこの改正が正しい方向であることを示している。