トランプ大統領は5月14・15日北京を訪れ、習近平主席と首脳会談を行ったが、既存マスコミの報道では分かりづらい。全貌はまだだが、高橋洋一教授の解説が分かり易く少なくとも現下の情報は、この説明が一番納得できるものだった。

 

日本の既存マスコミは会談の内容を新華社の報道に依拠しており、殆んどその内容のままだそうである。一方米国のホワイトハウスも会談の項目を箇条書きのような簡易な方法で記述しているようだが、双方の書きぶりが違うのが興味深かった。

 

まず台湾問題は中国側が一方的に言及し、米国がこの問題に触れれば大変危険な問題に発展すると強く言ったと新華社は伝えた。一方米国側のホワイトハウスの報道はこれについては一言半句の言及もなく、何らのコメントもない。

 

これは中国は色々言ったが、米国としては従来の方針以上に言うことはないという意味で、中国側の主張に反応していない。つまり米国は台湾の独立を表立って支持はしないが、武器の売却は続け、双方の仲介もせず、中国関係法も変更無いと言う立場。

 

つまり中国は国内向けに米国に対し、強い立場で時刻の台湾政策を主張したと言ったが、米国はそれを聞きおいたということ。一方ビジネスの分野では中国・米国双方に言及があり、双方のビジネス機会は拡大すると言っている。

 

また貿易では中国は双方の関係はウィン・ウィンであり、米国側は農産物・エネルギーを中国は買うと言った。これは米国は帯同して行った産業界の顔を立てた形で決着し、どちらかといえば米国に分のある決着のように見える。

 

一方ホルムズ海峡については中国側は一切の言及はなく、米国側は中国は自由航行を維持すべきと主張したと言った。また習主席は同海峡の軍事化や通行料の徴収に反対したと米国側は述べている。

 

イランについては中国側は「協議した」とだけ述べたが、米国側は中国はイランの核開発に反対で一致したと述べている。つまり中国側は単なる意見交換としたが、米国側はイランの核開発反対の中国側の言質を取ったという形である。

 

一方麻薬については中国は言及なく、米国側はフェンタニルの流入阻止を強調したとなっており、中国側は避けたい問題のようであった。この双方対比型の解説は分かり易いから、興味のある人は高橋教授のチャンネルを参照すれば良い。

日本の文芸に「俳句」という短いけれども奥深いジャンルがあるが、それはいくつかの約束事の中で表現する短詩である。本来俳句はその書かれている内容から作者の意図を読み、その意味とそう表現した感性を鑑賞するものである。

 

この小説は俳句をまず提示して、これに短い短編小説を添わせるという手法で出来ており、小説家の作者自身の感性を見ることができる。「枯れ向日葵呼んで振り向く奴がいる」は婚約解消された理不尽な主人公の話である。

 

「鋏利し庭の鷄頭刎ね尽くす」夫がかつての幼馴染に寄せる思いと、それに同調する夫の母と妹。それにどう立ち向かうのか、あるいは無視するのか、そして相手の心持ちは何だったのかを追い、そして起こるカタストロフィ。

 

「プレゼントコートマフラームートンブーツ」はぬいぐるみ作りが好きな男の子がある日非日常的な事件に遭う。「薄闇や苔むす墓石に蜥蜴の子」は小学五年生のケンイチは夏休み前に引っ越し、裏山で虫眼鏡を見つけたがそれ行方不明の子供のものだった。

 

「薔薇落つる丑三つの刻誰ぞいぬ」彼氏のケイタはとんでもない悪で、ある日仲間たちとに廃病院に閉じ込められるが…。「冬晴の遠出の先の野辺送り」は兄が失恋の後自殺まがいの事故で亡くなって、その野辺送りの際一緒になった女の子と話し合う。

 

「同じ飯同じ菜を食う春日和」は三歳の娘が大学生になるまで、3~4年おきに来る展望台、菜の花とピンクの花がみえる。大震災の記憶を呼び起こすものもあるが、人は移ろい釜飯屋も変化していく、懐かしい思い出深いものも時の移ろいには勝てない。

 

この宮部さんの俳句を一首ずつ示しながら、それから連想できたり、発想を飛ばしたりしながら鑑賞できる短編は秀逸だ。作中の絵本も宮部さんの創作だと言うから凄まじい。

 

人の心のなかにある陰や鬱屈、ホッとした安らぎとともに言い知れぬ恐怖、そして嫌悪も様々な形で示してくれている。宮部さんはこの種の形式の作品もこれから書いていくと言っているようで、楽しみではある。

 

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財務省は現下の少子化の影響で、大学生の進学が減少し定員割れを起こす大学が増えたことを受け、大学の定員数を減少させると言った。また文科省も定員に達しない大学があることを認め、規模の適正化は不可避であると認めたと言う。

 

更に財務省は2040年までに250校、学部定員にして14万人ほど削減するとの数値目標も公表した。これによってこれからは削減対象となるのはどこで、どういう学部定員が削減されるかに関心が高まる可能性がある。

 

しかしこれは国として大学を選別することになり、大学側は生き残りを果たすために死に物狂いとなるだろう。つまり大学は文科省への交渉能力を上げ、どうやれば生き残れるかを目指すから、必然的に天下りを求めることになる。

 

そうして生き残れば大学への補助金を確保して存続することが可能になるからだが、これは学生を見た改革ではない。つまり大学への補助金という現行の制度が大学と文科省の癒着を強める結果になるのである。

 

もともと私立大学の半数程度が定員割れを起こし、進学率が上がったとしても現在の定員を満たすことはできないのは本当らしい。そして私立大学の淘汰は結局学生が集まらないところが、維持できなとして廃校するという方向のほうが良い。

 

そういう意味においては高橋洋一教授が言う進学する学生に、入学金などのバウチャーを与える方法で補助金を学生に使うのである。そうすれば学生を惹きつけるカリキュラムや卒業後の就職などの実績が高い大学が生き残れることになるだろう。

 

そうすることによって大学は文科省の顔色を見ることなく、もっぱら学生の望む方向に舵を切らざるを得ないことになるだろう。無論地域の偏りや学問分野の偏りなども起こり得るから、一定の政府による制御も必要だが過度の関与は良くないと考える。

 

現在は文科省の関与が強すぎる結果、かつての前川次官のような天下り天国を生んだことも反省すべきことだろう。財務官僚もこの天下りの一角の恩恵を受けていると言われるから、大学側への需要予測と言った関与方法を取る方向だろう。

 

大学生の真に学問を究めたいと思う気持ちを尊重し、それを推進する施策、すなわち学生を見た大学改革を実施してほしい。

日本では振替休日の5月6日GWの最終日、現地アメリカでは5月5日の夜のゲームに大谷選手は投手専任で登場した。大谷選手は3月4月の投手として月間MVPに輝いたあとの登板であったが、自身は打者としてはラインアップにはなかった。

 

投手としては圧巻の内容で、確かに二回三回とソロホームランを打たれたが、七回を失点2、8奪三振でアストロズ打線を抑え込んだ。しかし大谷が居ない打線は8回にようやく1点を取っただけで、大谷選手が登板する中では19イニング無得点だった。

 

大谷はここ最近打者として24打席無安打で、ロバーツ監督の采配は体の休養の意味も兼ねて投手専任としたのであろう。しかし打者大谷の居ない打線は大谷への援護は出来ずたった2点を取り返し、逆転してやれることはなく大谷が敗戦投手となった。

 

このロバーツ監督の采配には色んな人が色んな意見を言い、敗戦と言った結果は批判的なものが多かった。大谷選手はたとえ打てなかったとしても相手方投手の緊張感は例えようもなく大きく、後続の打者には有形無形の影響を与えている。

 

ドジャースの野手からも、打者大谷が居ないことが「何かが欠けている」と思わせると述べていたと言う。また他チームの監督はロバーツ監督の大谷を投手専任とした考え方は理屈としてよく分かるが、大谷という選手に相応しかったのかと言った。

 

大谷の特質を考えれば、大谷は打者としても出場したほうが良かったかったのではないか、だから二刀流にすべきだったのではという意味である。つまり普通の考え方のように投手専任とすることが大谷選手の活きた使い方として良いのだろうかというのである。

 

これは率直に言えば、正解はわからない問題だろう。単に観客としてみれば大谷選手のリアル二刀流を見たいと思うし、そうすれば自分の手で失点を回復したかも知れないと思えるからである。

 

大谷は普通の選手とは違うが重大な手術後のリハビリ後の選手であって、過度の負担から避けてやれればそれもいいとも思う。しかしリアル二刀流こそが大谷選手のリズムだからと言う言い分にもなにがしか聞くべき理屈はある。

 

打者大谷の復活を信じて、これからもハラハラしながらも応援し続けることが何より大谷の支えになるだろう。

高市総理が総選挙の際「給付付き税額控除」の制度への移行まで2年間に限って食料品の消費税を0にすると言った。野党も主張の細部には違いが見えたものの、暫定的とはいえ食料品減税には賛成し、この点では与野党が一致していた。

 

しかし主に給付付き税額控除の制度設計をするという名目で作られた国民会議の議論が始まると、あらぬ方向へと導かれ出した。その方向は消費税を0にすると消費者への販売の最前線で使われるレジの改修が間に合わないという議論である。

 

これと似た議論はかつて食料品の軽減税率導入の際にも行われ、経産省はこのために巨額の補助金を出して改修を促した。つまり本則では10%の消費税を食料品は8%とするために、多額の改修費用がかかるとされて行われたのである。

 

今回の措置はこの8%を0%とするだけだから素人目からするとそう難しいものとは思われないがそうではないと言う。これに対してはプログラミングにも詳しい高橋洋一教授が「難しいという人はプログラミングの初歩を知らない」と批判した。

 

このことはユーチューブを見ていると、財務省が主導してやっ気になって言って回っていると言い、一部野党は説得されていると言う。その財務省の説得の模様が先日保守党のユーチューブ番組で有本香氏が暴露していた。

 

それによると特に求めても居ないのに、財務省の高官がわざわざ説明に来、難しさを強調していったと言う。そしてレジ業者の意見を援用し、そう容易には行われないと言って、それに対して理解を求め、要は諸費税を0にするのは無理と言ってきた。

 

しかしことは政治的決断として政府与党となった自由民主党が決めたことだから、どうすればできるかを考えるのが官僚である。出来ない理由を並べて国民の圧倒的支持を得た施策を無に帰することなどできるはずもないのである。

 

それと消費税を0にすれば毎年税収に5兆円もの歳入不足が生ずることも強調したと言う。しかし減税により懐が暖かくなれば消費も拡大し、経済が活性化することで、税収も上がるのではないかという反論には、応えなかったと言う。

 

財務省の増税を進めることが、かの省では出世の糸口になるそうだが、真に国民のことを思った施策を実現しようとは考えないらしいのである。

高市政権が発足後日本では株式の相場を示す指標として日経平均株価が用いられるが、それが4月に6万円を突破した。これは政権発足直後にそれまで初の5万円を突破したから、これを半年あまりで更に1万円を上乗せしたのである。

 

ところでこの日経平均株価の上昇に対しては様々な反応があり、株を持っているような資産家の話で自分は関係ないというのもある。たしかに直接的には株を保有している人には直に影響をもたらすが、持っていない人はそうではない。

 

しかし株式相場の上昇は、やがて賃金の上昇となり物価も上昇してくるから、少しづつではあるが一般の生活にも影響する。また年金基金も株式で運用しているから、株式が上昇すれば年金基金は安定化し、年金は増えなくても徴収額は下がりうる。

 

そういう意味で株価が上昇していることは、そこに暮らしている私共にも多少とも良い影響を与えることになるだろう。しかし何故株価が上昇するかについては、結構懐疑的な意見は多く、野党や左派メディアは盛んに危機感を煽って牽制している。

 

こういう人の意見は今は上がって浮かれているが、これはまもなく暴落するぞと警告を鳴らしている。国会質問でも盛んに言っていたのは、米国・イスラエルとイランの紛争でそのあおりを食って石油不足が生じ日本経済は失速すると言う。

 

だから政府が適切に手当をして特に不足を生じていない原油についても、そのための手当が必要だと執拗に野党は言う。更には補正予算も組むべきだと質問をしていたが、高市総理らが調達先の多様化等十分な対策済みだと一蹴していた。

 

原油の供給についてはIEA(国際エネルギー機関)の供給予測は一時的に下がるものの、5月以降は急回復している。日本はそれに加えて備蓄放出などもして手当をしているから、これによって景気減速は起こりづらいと見るのが適当ではないか。

 

無論株価は上下し現に月末は落ちている、上がる局面を見て有頂天になってもいけないが、高市総理の積極経済はトレンドとして上昇局面だろう。これは石破政権の時のようなどんよりした状況とは大きく環境が変わっていると見てよいのではないか。

 

いずれにしても高市さんを貶めたい人は居て、そういう人は悲観的に言うが、客観的に見れば私はここ数年は見通しは明るいと見ている。

高市総理の国会答弁で、習近平主席が日本への渡航制限をしたことで、中国人の観光客が減って日本は大きな影響を受けた。習主席は制限することで観光客が減少し、観光に頼る日本での旅行業者に打撃を与える目的であった。

 

たしかにそれによって観光客の絶対数が減り、一部の観光業者は打撃を受けたと、マスコミは報じ高市総理に批判があった。しかし日本への影響は悪いことばかりではなく、むしろ良い方向に変わったという評価がされている。

 

第一はオーバーツーリズムによって人々の日常生活にも影響を受けたが、これが大きく緩和したことだ。傍若無人な振る舞いをする中国人も多く、順番を守らなかったり、手荷物の扱いが周辺の人に迷惑を与える人が減ったのである。

 

第二は中国人が減ったことで、他の国からの観光客が増えたことにも効果が現れた。空港は各国からの発着枠があり、中国便が減ったことで、これまで希望しても来られなかった国からも多くの人を受け入れられたのである。

 

第三は経済的効果の面でも、プラスの効果が与えられているのと言うが、それは中国人のやり方が「一条龍」という方法だからである。これは使う航空機は中国便、入国後の移動は違法な白タク、また使う店も旅館や土産店も中国人経営だからである。

 

つまり中国人で旅行が完結し、日本の業者には金を使わないと言った方法で、日本という観光資源を中国人が利用する。だから来日観光客は減ったが、観光収入は増えたという統計が現れ、客単価が上がったというのである。

 

かつてホテル業の一角であったアパホテルが、経営者の信念を書籍にしておき、南京事件など捏造でしか無いと記述した。それを知った中国政府は業者を指導してアパホテルを使わないよう指導したが、逆に客は増えたと言う。

 

観光も我が国を世に知らしめる意味で、大事な産業であることに間違いはないが、単に客の数だけを求めるのは間違いだろう。業として成り立つためには採算の取れる客が来てくれる方がいいから、集団で来て騒がしいが金を落とさない客よりは良い。

 

習近平主席にはこのような反応は予想外で不快であろうが、日本も量より質を求める意味でも中国人観光客の減少は好ましい。

自由民主党と維新の会は3月に防衛装備移転三原則の運用指針を見直し、殺傷能力のある武器輸出も一定の制限の元可能なようにするとの提言を行い、4月これを見直した。ところでこの五類型とは装備品のうち救難、輸送、警戒、監視及び掃海に限って輸出が可能としたものだが、これを撤廃するとしたものである。

 

これに対し日弁連を始めとした左翼団体などは一斉に反対をし、五類型の装備品の輸出であっても不十分なところ、これを更に発展させるなどとんでもないことだとしている。その根拠になるものは、我が国の永久平和主義を謳った憲法の精神に反することであり、これによって人を殺傷することになる手助けをすることだと言う。

 

もちろん戦闘機、大砲、軍艦、ミサイルなどがそういう能力を持っており、現に多くの国で今も様々な戦闘行為で人命が失われていることは事実である。だからそもそも武器の使用そのものが忌むべきことだというのはそのとおりであって、理想的に言えばすべての国や勢力から武器をなくせることが究極の願いである。

 

しかし現実はそう甘くはなく、すでに4年目に突入したロシアのウクライナ侵攻に見られるように、いつ理不尽な理由で国家の危機が来るかは分からない。そして我が国の隣国には事実上の独立国である台湾に対し武力侵攻も辞さない国があり、その国は我が国の沖縄も本来自国の一部であると公然という国である。

 

だとすれば国の本質的な自衛の権利までをも、左翼の人も否定はしないであろうから、その権利行使のために防衛のために戦うことまでは否定しないだろう。しかし戦うための武器が必要で、五類型に言う防御用のものだけで、敵を排除することは不可能だから、攻撃用の武器も必要であろう。

 

しかしこれを自国のためだけに生産することができるかといえば、そう簡単ではなく、何より多くを生産できなければコストは膨大になり無尽蔵に予算を注ぎ込まなければならない。また自国の兵器が友好国ともこれを共有できなければ相互に作戦を連携することもおぼつかなくなり、協調して防衛することも難しくなる。

 

現在日・英・伊三国で協調して開発中の戦闘機も、友好国にも売れなければこれを継続的に生産することもできないであろう。武器輸出は確かに心理的には荷が重いことではあるが、世界から武器がなくなる世が来るようなことにならない限り、必要悪でもあって、それがだめと言うなら現在の武器輸出国に行って提言してみると良い。

自由民主党の党大会で自衛隊員が国歌「君が代」を斉唱したことは、自衛隊の政治利用で、自衛隊法違反ではないかと毎日新聞が聞いた。この党大会は4月12日に行われたもので、当大会運営委員会を設けて、そのもとに実行委員会で実施したと言う。

 

そして当該自衛隊員は非番の日に私人として当該催しに参加し歌唱したものだということである。まず第一に国歌を斉唱することが政治的目的ではないかという指摘が奇妙であり、かつての日教組の学校での国歌斉唱を妨げた論理と似ている。

 

国歌「君が代」は現在多くの国際的なスポーツイベントで日本人が優勝したときに歌唱または演奏されている。しかしこれが政治的目的を持ったものでないことは言うまでもなく、日本人としての誇りを称揚するものであろう。

 

第二にこのようなことを記者会見でわざわざ取り上げて質問すること自体に、マスコミの偏向を感じさせる。国歌の斉唱などMLBなどでは試合の開始前に演奏され、時には有名歌手が朗々と歌い上げることもあるが、誰もこれを取り上げはしない。

 

せいぜい例えばアメリカ国歌などでは難しい歌をどんなに見事に歌ったかを話題にする程度のことである。しかし日本の環境は国歌や国旗の扱いが特殊なものとされ、今や各家庭で国旗を掲揚したりすることは稀になった。

 

これは一重に日教組によって子供時代から染み込ませた、国歌や国旗は戦意発揚の道具であると言った教育のせいである。昔祝祭日は「旗日」と呼ばれ、なにがしかの記念を祝する意味で、各家庭では国旗日の丸を掲揚した

 

しかし現在ではこのような慣行はなくなり、ただの休みの日となったが、普段の休日に祝祭日をくっつけるなども祝日の意義をぼかしてしまった。本来祝日を決める時はその由来なども議論され、真に国民として祝い尊ぶ日であったはずである。

 

また外国国旗は損壊すれば罪になるのに、国旗はせいぜい器物損壊という「微罪」にしかならない。これを国旗損壊として正式に罪に問おうとする現政権の動きは正しいが、自民党の中でも立法せねばならないという必要性はないと反対するものもいる。

 

日本人なら国歌を誇りを持って歌い、国旗も国を象徴するものと尊び、このような馬鹿げた質問がない世にしたいものである。

イランへの米国武力行使が始まって、部外者の評論はイランとイスラエル・米国に対し様々なものがある。マスコミは多くはイラン寄りで、イスラエルやアメリカには厳しい見方が多く、それはその立場がどちらかはあまり関係ない。

 

例えば保守的な言論人とされる伊藤寛氏なども、イランに同情的だがそれはその歴史的な経緯から論じられる。イランに大規模な石油資源が見つかってから欧米はイランから石油資源を収奪することに全力をかけた。

 

そして元はどこの馬の骨ともわからない者を連れてきて、パーレビ王朝を作り独裁体制を敷かせこれを取り込んだ。つまり近代の百年間はイランは欧米の思うままに従わせた気の毒な国だと言い、これに大和魂を持った日本は反対するも今は違っていると言う。

 

一方左翼は国際ルールを踏みにじる米国は悪く、多くの人を殺害するイスラエルも悪だと非難する。過去の歴史から見てイランを踏みにじったに等しい欧米諸国は無論非難に値するが、しかし昔イランの前身のペルシャ帝国として多くの版図を持った。

 

これも将来の他民族国家を従える大帝国を統べる見本となったぐらい。ペルシャも他民族を圧迫した。歴史を紐解けばいつの時代で比較するかで、その国の立場は異なり他国を虐げられたり虐げたりするのである。

 

無論イスラエルにも民族として嫌われ、世界に散った後に悲惨な目にあった歴史はあり、ナチスの迫害が典型である。一方現代では米国の経済界を事実上支配するのはユダヤ人であると言われるくらい、その支配力は恐れられている。

 

要するに現代に生きている我らにとって一番大事なのは、今のわれらの世界を安定させるために、どの勢力が一番いいのかという見方である。イランはテロを行う勢力を支援し、そういう勢力に資金を与え、テロを実行してきたというのは事実である。

 

イランのホルムズ海峡封鎖も国際海峡を勝手に封鎖すること自体が国際法違反だが、そういうことをマスコミは伝えない。また核兵器を開発しようとすること自体も国際法違反なのは自明のことだが、そのこと自体を批判しようとはしない。

 

ただ一面だけを捉えて批判しても意味はないので、まずはどうするのが国益に沿うかを考える時期なのである。