自民党が大敗したと伝えるインターネットの隅に730日午前2時過ぎに作家の小田実氏がなくなったと報じられた。享年75歳であったという。小田氏は我らの一世代前の人で、東大を卒業後フルブライト留学生となってアメリカに留学した。60年安保のとき「平和運動」を始め、アメリカがベトナム戦争に踏み込んだ1965年以降、「ベトナムに平和を市民連合」通称「ベ平連」を組織して反戦運動を行った。小田氏は私共が高校生の頃は既に教祖的な存在で、その活動はよくニュースになった。当時盛んであった学生運動の会場にも小田氏が訪れることを看板やビラで見かけたものである。ベトナム戦争は米国の立場で言えばその共産化を防ぐために必要な戦争であったと言うが、アジアに来て空爆等で多くの無辜の民を殺戮したことは支持されず、結局中国の支援を受けたベトコンのゲリラ攻撃に敗北した。小田氏は日本に居てこの反戦運動を組織し、米国及びこれを支持した当時の政府を強く非難した。

小田氏はまた開高健、高橋和己、柴田翔などとの親交があり、社会主義に魅せられ、社会主義国家を讃美するようになる。北朝鮮を理想の国と言い、「地上の楽園」とするキャンペーンを行ったという側面もある。今日それがどれほどの勘違いかは明らかである。

91年には湾岸戦争を批判し、武力で国際紛争は解決できないという意見広告をニューヨ-クタイムスに載せ、多くの知識人の共感を得た。

これらのことは小田氏が優れた知識人であり文学者で何より社会運動家としてすばらしい面を持つが、一方では誤りを犯し、それにミスリードされる人も作ってしまう。人は過ちを犯すことがあるが、それを恐れて何もしないことを是とするものではない。小田氏の生き方は功罪有るが、凡人ではないと評価される。小田氏が讃美した社会主義は理想において間違ってはいないかも知れないが、現実の社会主義国家が独裁に陥り多くの体制の犠牲者を出したことも歴史的事実である。支持者であった小田氏がこれに対し見誤ったと認めた話を私は寡聞にして知らない。私は社会運動家としての功績を評価するがこの頑なさが小田氏を嫌いな理由である。