「集音マイク」 | 風に吹かれて マイ・ヴォイス

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なりゆきまかせに出会った話題とイメージで、「世の中コンナモンダ」の生態系をのんびり探検しています。これはそのときどきの、ささやかな標本箱。

 ここは砂浜が広い。止めてきた車はここから4~5百メートル東側の、防砂目的の松林の端にあり、白い車体が私が今いるところから見えている。そこからカメラなど重い撮影機材と、性能テストを依頼されている集音マイクシステム一式を持ってきた。それを砂の深い浜をここまで運ぶだけでくたくたになる。撮影目的は、西側の小さい岬を回ったところにある漁港に帰港する2隻の小型漁船を、乗組んでいる人を入れて撮ること。できれば音も録る、ということだった。カメラは問題ないが、広い海岸での集音マイク性能は楽勝とはいかない。今回のシステム――といっても集音用のパラボラを2台組み合わせたマイクにして、周波数もそれなりに調整できるというものだが――では、集音マイクの距離性能は多分150メートルくらいだ。そこで、漁船にはなるべく岸の近くを通ってもらうよう、この仕事の依頼者から漁船側に伝えてある。このあたりは、砂浜海岸の沖側のすぐ先に岩場がありその先は急深になっているので、小型の漁船だしその岩場から100メートルくらい沖を通ってもらえば問題ない。そういう計算だ。天気よし、風速風向よしで、あと1時間はのんびりできる。

 不意に、携帯に依頼者から連絡が入った。漁でトラブルがあり、2隻とも1時間ほど帰港が遅れるという。どうこういっても始まらないのでオーケーした。タバコを一服していたら、自分のいる場所から100メートルくらい西側の、県道に続く松林の道から、小学4、5年生くらいの男の子と女の子が現れた。漁港の奥の、農家が30軒ほど集まっている集落の子たちだろう。二人は波打ち際を右や左に近づいたり離れたりしながら東のほうに歩いていた。女の子が両手で何かを大事そうに持っていて、男の子と何か言い合っている。二人は、身長がほとんど同じでなければ兄妹かと思うような雰囲気だった。私のいる、浜の北側の松林を背にした少し高いところは、波打ち際から50メートルくらいだが、二人はかがみ込んでいる私には気がついていない。女の子の真剣な様子に、何を話しているのか気になってきたし、初めてのシステムに事前に慣れておきたかったので、ちょっと罪悪感もあったが、どうせ録音はすぐに消去すると自分に言い訳をして、その二人に向けてシステムを合わせた。打ちつける波は静かだったが、マイクの調整次第ではノイズのようにもなった。二人は私の前を過ぎて、私より東側にいた。集音マイクを作動させ、単眼鏡で二人を追った。録音モニターのイヤホンを耳に入れた。

「ちゃんと見せろよ」と、男の子の声。「見せろって、何をよ?」

「手に持ってる鳥にきまってるだろ」「あんたにはおもしろくないわよ。ぜったいに」

「見てみなきゃわかんないだろ。おまえはいつもそうだ」

女の子がさっきより静かな調子で「海に流してやりたいのよ。お弔いよ」と言った。

「スズメかなんかだろ?」「スズメだったらあんな道ばたで死んでてもいいって言うの?」

「そんなこと言ってないよ」「前に図鑑で見たことある、ハクセキレイっていう鳥よ」

「海に流したって、魚に食われるだけだろ」「あんたに何がわかるっていうの?」

「わかるさ」

 そのとき、女の子が急に私のほうを向いた。強い光があるのでパラボラの何かが光ったのかもしれない。すると女の子は、急いで膝の近くまで水に入って両手を開いた。沖に向かってす早く頭を下げたようだった。男の子もあわててこっちを見た。そして二人とも、走るように来た道をもどっていった。私のほうは二度と見なかった。

 このことが、私をめった打ちに打ちのめした。集音だの何だのと、いい気になっていた。あの子たちはもちろん見ていないが、自分の車の東京を示すナンバープレートも取り外したかった。自分は何もわかっていない。追っかけていって、二人に私のしていたことを説明して謝りたかった。だが動けなかった。そんな説明なんて何になる。今さら詫びたって何になる。セキレイを心から弔いたかったあの女の子にとって、いったい何になる。それどころか、その弔いすら私は台無しにしてしまった。

 少しして自分が落ちつくのを確認してから、録音を再生し、消そうとした。二人の会話は、ノイズにも波の音にも邪魔されず、モニターで聞いた通り、きれいに残されていた。自分や家族のメシのタネだ、それが何になるのかとは深く考えたくなかった。おれも若いなと思いながら、二人の会話の消去ボタンをしっかりと押した。録音時間も長く改良したシステムだったが、今はかえってそれが愚かしく思えた。