童話「さかさ耳のヒロ」 | 風に吹かれて マイ・ヴォイス

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なりゆきまかせに出会った話題とイメージで、「世の中コンナモンダ」の生態系をのんびり探検しています。これはそのときどきの、ささやかな標本箱。

 ある地方の町に住むヒロという男の子が、ちょうど小学校に入る前に、ガケを落ちて大けがをした。せまい山道をうしろから登ってきたトラックをよけようとした、前を歩いていた女の子がころんだ。その女の子を助けようとして自分がガケを落ちてしまったのだ。ガケの下を流れている谷川のふちまで落ちた。ヒロを助けてくれた消防団の人たちは、大雨で谷川の水かさがふえて、流れも急になっていたのであぶないところだったと、口ぐちに言ったそうだ。

 大きい病院に1か月入院した。歩けるようになるまで2か月かかったが、病院のあとの1か月は自分のうちで寝たり起きたりしていた。そのうちお母さんが、この子の耳はどうもおかしいよ、とお父さんに言い、かよっている近くのお医者さんにもそううったえた。お医者さんは首をかしげていたが、すぐに大きい音が小さく聞こえて、小さい音が大きく聞こえるとわかって、はじめ入院した大きな病院の先生にれんらくしてくれた。その病院でも同じこたえだった。近所の人たちもこのことを知って、だれともなくヒロを「さかさ耳の子」という呼ぶようになった。学校では「さかさ耳のヒロ」

 ヒロは「さかさじゃない」と思ったが、やっぱり大きい音が聞こえにくく、すごく大きい音はほとんど聞こえなかった。そのかわり、すごく小さい音や声はとても大きく聞こえた。思いもよらないことで、ふべんなことやこまったことがたくさんあったが、小さい音や声が聞こえることでおもしろいこともあった。だけど、人のないしょ話がはっきり聞こえるのはいやだった。荷物をはこぶ大きな車のだす音とかは小さく聞こえてあぶないこともあったが、電気自動車の小さい音ははっきり聞こえる。庭にくる鳥の声の大きい小さいをさかさに聞くと、かえって気分が落ちつくことがあった。

 父や母が、ぼくが10歳になったとき、学校や町にぼくのこれからをどうするか正式に相談した。前例がないとのことで何のこたえもでなかった。東京に住んでいる、ぼくをかわいがってくれる、父の弟のおじさんが心配してくれた。おじさんは、名前がかわっていて、「じゅんく」といった。じゅんくおじさんは、「わるいことばかり考えたってなんにもならない。いいことを考えることだ」と言ったし、「ヒロの能力はすばらしいよ。弱い音が聞こえれば、世の中の役にたつことが山ほどある。みんなヒロのさかさまの人間ばかりで、世の中がかたまってしまっている」

 そして、むずかしかったが、「だいたい、ほんとうに大切なことは複ざつで、まわりがどういうことか理解できないので、弱弱しく見えるのだよ。弱弱しく見えるから、大きな声をだしている人が、自分のほうが正しいと、まちがって考えるようになるんだ」。おまけに、ヒロを国会ぎじどうの上にアンテナのようにのせると世の中のことがよくわかるかもしれないねと言いながら、ワッハッハッと大きな音で笑った。ぼくにはその笑い声が小さくかすかに聞こえたのでほんとはすごく大きな笑い声だったのかとわかって、少しいやな感じがした。じゅんくおじさんは、大学で社会学とかいう何だかわからないことを仕事にしていると、お父さんからこのとき聞いた。

 しばらくして、夏休みの自由研究で野草をさがそうと山道を歩いていたヒロは、前にお父さんと来たことがある、大きな枯木がたくさんあるところに行ってみようと、道からはずれてやぶのしげみにふみこんだ。そこには思ったとおり野草がいろいろあった。そこで歩きまわっているうちに、いちだんと大きな枯れた木の根っこの下の穴に落っこちた。動物のにおいがする穴だったが、暗くてよく見えない。穴の入口は光が入ってくるのでわかる。あそこまで3メートルくらいはっていけばいいと、自分でもびっくりするくらい落ちついていた。すると、奥の方からきつねの話が聞こえてきた。ヒロにはときどき、動物の言葉がわかることがある。お医者さんに言っても、どうせ信用してもらえないので言わない。何かほかのことで、「げんかくというものですよ、気にしないでください」と言われたことがある。

 きつねたちはヒロのことをうわさで知っているらしく、わざと大きな声で話していたが、穴のカベの土が音をすいこむのか、まがった穴の奥なので音が小さくなるのかわからないが、ヒロにははっきりとその話声が聞こえた。「あの子はこの人間社会でどうやって生きていくんだろうね。きっとたいへんだよ」

 そのとき、ヒロをさがしにきたおとなの人たちの大きな声が聞こえた。だからまだ遠くにいる。お母さんもいっしょだ。ヒロはきつねに声もかけずに、入口まで行って穴をでた。おとなの人には、きつねたちのことはだまっていた。

 ヒロが道路から谷に落ちるとき助けけようとした女の子はメグミといい、ヒロが入院しているとき、メグミのお父さんやお母さん、それにおばあちゃんまでいっしょに、花やおかしをいっぱいもって、おみまいにきてくれた。そのあとメグミはお母さんとふたりでヒロのうちにもきてくれた。そのあとでも、メグミだけは時どきうちにきた。もう何年にもなる。そのメグミが、きのううちにきて、すごく小さい声で、うんと勉強して大学に入り、ヒロの「さかさ耳」をなおす機械をつくるつもりだと言った。イヤホンのように耳に入れれば、音の大きい小さいをさかさにする機械だそうだ。イヤホンがむりならヘッドホンくらいの大きさになるかもと、すごくおとなじみた口ぶりで、小さい声で言った。ヒロはだまって聞いていた。

  あとで、じゅんくおじさんにそのことを言ったら、そういう機械はたぶんできるよと、かんたんに言った。そしておじさんは、それはそれで安心したらしく、こんどは、ヒロのように耳じゃなくて、さかさの目をもった子がいれば、世の中の役にすごくたつんだけどな、と小さな声でぼそぼそとつぶやいた。ヒロにはしっかり大きな声で聞こえた。このおじさん、どういう人なんだ?と思った。