「移動スーパーの店長」(後編) | 風に吹かれて マイ・ヴォイス

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なりゆきまかせに出会った話題とイメージで、「世の中コンナモンダ」の生態系をのんびり探検しています。これはそのときどきの、ささやかな標本箱。

――自分にとって意外で、成り行きで現れた「前編」で、山あいの集落を通る道路が今はりっぱに整備され、移動販売の強い味方になる、という話をさせていただいた。前編とこの後編のせまいハザマで、後編で何を話すか、けっこう葛藤がありました。――

 というわけで、半径10キロには、南は海で、漁港もあり物流もしっかりしてるので、おれのような商売の出る幕はないけど、北東や北西には山地があり、商売の舞台になる。それぞれのルートに3つか4つの商いポイントがある。集会所の庭とか神社の駐車場とか。スピーカーで「三日おくれ~の」と、がなりたてながら曲がりくねった道で、来ましたよ来ましたよ、とやる。だから今では、おれが着く前に3~4人は待ってくれている。こういうのはうれしい。もっとも、知り合い同士で話し込んでいて、もっと遅く来たらいいのにという顔をする人もいる。しかもおれにわかるようにだ。意識してかしないでかはわからないが、意識してのことならイヤミな客だ。3年前ならイザ知らず、おれだって成長した。気にはならない。そういうバアさんの生態(失礼!)がわかってきた。みんなさみしいのだ。本音をいうと、誰が難しい人で、誰が味方かわからない。人情なんていう死語をもち出そうにも、おれ自身が人情って何だと考え込んでいるザマだ。空気と逆で、高いところに行くほど濃くなるのが人情らしい。カミサンが、その人情空気に酸素ボンベなしでよく順応したわよ、と感心していた。酸素ボンベって何の譬えだ?

 場所によって様子が違うという前提で(一般論はムリ)、客との世界を、少し細かくなるがわがスーパーの企業秘密も入れてスケッチする。小さい子どもを連れたり抱っこしたりしたお母さんは、いつも急いでいるようなふうで、気の合う仲間もここではレアだ。きっとお姑さんに時間を読まれている。だからおれは、さりげなく優先する。なかには「クレジットカードは使えないの?」とワザワザ聞く客もいる。「前にも同じことを聞かれたけど・・・」なんて前置きはしないで、相手の出方にもよるが、「ごめんね、ダメなんですよ」と答える。予約は、扱えて納期(つまり販売日)が間に合うものは受けることもあるが、原則予約はナシだ。それにみなさん、カゴや手さげを持って宝さがしを楽しんでいるようなところがあって、おれのスーパーに来る人には、予約なんていう緊張感はほど遠い。宝さがしをされていると思うと、仕入れのときも客を喜ばせてやろうという気になり、おれの負担は増える。やっぱり、やりすぎは禁物。お客のニーズには高いアンテナを上げる。インスタントラーメンだって、牛乳だって、値段も違うし好みも違う。トイレットペーパーのしっとり感がどうのこうのといわれてもピンとこない。好きずきでしょう、と思う。おもしろいことに、高くても買ってくれる商品がある。それがそのときのメンバーで決まることが多い。人が多いと値段の高いものが売れる。人が少ないとその逆だ。おもしろいほどそうだ。人間って、そういうかわいいところがある。

 天野さんの話。天野さんの85になるジイさんが、草取りをしていて入れ歯をなくしたと言いながら、おれのスーパーをのぞいた。入れ歯はおいてないよ、と言おうとしたら、そこにいた隣家のバアさんが横から、間髪をいれずに、「うそだよ、家のなかで踏んづけて壊したのさ」。2秒して、「それにアンタ、最近草取りなんかしてないでしょ」。天野のジイさんは黙って下を向いていた。参ったというふうでなく、ニヤッとしている感じだ。こういう客同士のお遊びはそっとしておくのがコツ。おれは、大森のバアさんの方に体をむけた。大森さんは、若い奥さんが買いに来てくれることが多い。たくさん買ってくれるのでありがたい客だ。このあいだジイさんが亡くなったばかり。きっと若い人が、気晴らしにでもなればとバアさんをここによこしたのだろう。おれはそう読んだ。

 別の地区の話になるが、長田さん。 5人暮らしの最年長のジイさんが、先週、下の町のはずれにある福祉施設に入所した。オレの終の棲家はここだよと、昨年だったか、もも引きを選びながら言ってたことを思い出す。さっき長田さんのバアさんが買い物に来てくれて、ご亭主を施設に見舞いたいが、コロナでそれが叶わないとこぼしていた。おれはそれをじっくりと聞いた。営業は頭になく。そういうコロナの影響をあちこちで聞く。何類だとか、扱いを変えて一件落着と思っている役人たちは阿呆だ。おれの学生時代の同僚もいるはずだ。人の幸せの役に立ってナンボのサービス業をやってるんでしょ。おれと同じでしょ。わかってなさ過ぎる。「三日おくれ~の」のテープでも送りつけてやろか。

 渡辺さんも、嫁さんが認知症のお姑の面倒を見ながら暮らしている。嫁さんは、坂道を自転車で長い時間かけて通っていた、下の町の食堂のパートを先週辞めたらしい。子どもは、一人は大きな市の親戚宅から高校に通っている。下の女の子は、下の町の中学校に今年入ってサッカーをやっていると、その嫁さんが目を細めて話してくれた。今日は、包丁を買ってくれた。一番安いやつだった。でも切れ味は変わらないので、おれも薦めた。よっぽどの変人のことは知らないが、誰もカネは使いたくない。

 作田さんや森さんの話は、ここではできなかったが、とにかく商売のコツは客の聞き役に徹すること。電気屋の死んだおやじさんがいつもそう言ってた。おれのこのスーパーでも、1~2分聞き役をすればジイさんもバアさんも目の色も背筋も変わってくる。子どもの客には聞き役は要らない。いまどき、いいとか悪いとかでなく、セルフレジなど電子レジの時代に、聞き役を望む人もする人もいない。商売の意味が変わった。これがわかるようになった。多分オヤジも、おまえに商売はムリだとはもう言わないだろう。

 神社の隅っこのおれの移動スーパー車の前で、どこかの置場から出してきた紙芝居を、ほこりを払いながら「上演」した若い女性がいた。下の町の福祉関係の人だと聞いた。子どもが3人紙芝居を見ていたが、一人が途中で帰ったのが彼女には気の毒だったが、代わりにパラパラと年寄りが5~6人集まった。そんなもんだ。おれもその紙芝居見た。ナントカ仮面の話だった。こういうのやっぱりイイなと、むかしのことをチラッと思った。つづきの歌詞の「船が~行く行く~」、というのが、今のおれの大事なラッパ。