余りにもほったらかしとなっておりました(苦)
m(__)m

少しは何か書こうかと思いまして…



「集ストなんかの「外れた存在」達が裁かれる事」は無いでしょう。
「ケーサツが、裁判官が~」なのではなく‥

法律も人道的裁きも、人が人に対して行う物になるからになります。





最近、本当に何だか「集ストの衆知」が始まっている感が有ります。
矢野 絢也 元公明党委員長が記者会見したのはもう9年前かになりましたが、その後から亀井 静香 も集ストについて国会で話したりしてたという事なんかが、ようやく功を奏して来たのでしょうか。

ブロガーの数は、当初から着々と増え続け…もう「誰もが」言っているといった感すら有ります。

そんな中で、最近は。
「工作員(コソコソ隠れた卑怯者故、見た事も無い場合が多い)との間に生まれた、親しみに似た感情が無かった訳では無かった」という様な書き込みも、何回か見ていました。

今ちょっと検索したら、「判っていてもやめられない。加害者が語るストーカー」何て言う酷いのが出ましたが。
(これは個人的なストーカー事件のものでしたが。)
確かに、腐り果てた悪人には、そういう所は有るでしょう。
大体小~中学生ぐらいに、そんなおかしくなり反省する(落胆する)という事は経験しているはずなのですが、多分誰もが。
異常な存在(生物)と化したのは、精神年齢も学習能力や反省能力も無関係な為、死ぬ日迄(その先でも)成長しないのだと考えられます。
そのせいで、余りにも馬鹿げた年月おかしくされているのです。

なので、疲れ果てれば、そんな状況になる事も有るのかもしれませんね。
そもそもが、「危害を加えておきながら、必要以上になれなれしく近寄ってくる」事を繰り返している生物なのではありますが。
有り得ない事しかしない、しつこいだけの、限度も知らない異常な存在(生物)。

自分の場合は、「悪い事は悪い」とする事は重要だと、繰り返し思い知らされて来ていたと考えていますから、そういう寛大な気持ちにはなれません。
なりません。ならなくて良いです。
優しく寛大な人が気の毒ですが、偉いと思っています。



締まりが無い形で、今日は去ります。
もう少し顔は出したいと、考えてはおります。
ではまた、いつの日にか。
m(__)m