※ストーカー問題から本格的に始めているつもりのこのブログではありましたが、本当にアメーバのストーカーの被害者の方々の影響から、一気に思考は進んでおりました。
書ける順序が前後したりで早速足踏みとなってはおりましたが、同時に自分の現状を更に掘り下げられ、運命も変わらざるを得ない立場に置かれているかもしれなくはなりました。

皆様方から頂く知識や情報により、本心から解放されたり、考えが進められたのではありましたが、何しろ自分の場合は相手の正体の特定は出来てはおりません。
精神面を滅ぼすのがストーキングの目的なのでは有りますが、特定の組織の犯行と断定出来ないこの様な立場の人の場合には、啓発する事は「現象についてのみ」に留まりますので、余計に困惑は深まっているのではないかとの想像は出来ます。
(正に‘暗中模索’となるからになります‥)

自分の場合は、前回までのブログにも書きましたが、解決したり情報交換により安心したり、解釈する事を目標にするという考えなのではありますが、‘ストーキング’という言葉の概念/境界線の解釈をも含めなくては、埒が開かないというパターンもあるという風に考えてもおります。
自身がその様な状況下である為の話になるのではありますが、自分は訳ありだったところへ始められましたのでしたが、最早「運命を左右する」レベルと、ずっとなって来ており、それが終焉に迫りつつもある様な時にはなりました。

何しろ‘自殺’へでも追い込む類なのではありますから、異常者にとってのゲームには、現実感などはないはずであります。

(対象も)はっきりとさえさせられていない、境界線はいくらでもごまかせる様な輩‥
意図的に社会的に葬る(精神異常者に仕立て上げる)手法とは逆に、何らかの事情で困っている人につけ込み入り込む手法も、ストーキングにはある様な記事を読んだ事もございます。

自分は後者になるのではありましたが、これもすでに記述しております(途中です)が、霊や運気、自身の精神、つまりストーカーを排除した時のあらゆる事を考えなくてはならないという主義であります。
単に現象を突き止める/終わらせるという事にはならず、ストーカー現象とは別に存在しているそれらの面からも、自身を問われて来ていたのではございました。



(続→)