1995年、27年前の今日。
阪神・淡路大震災が起こりました。
私は当時大学院生で京都に住んでいて、
ゼミ仲間は大阪と西宮に住んでいました。
西宮の友達と数日連絡が取れず、
無事が確認できたときの安堵感と同時に
どんどん報道される大きすぎる被害に
とても動揺しました。
震災数日後から、芦屋の臨床心理士の先生がボランティアチームで避難所を回っていることを聞き、参加しました。
命を守ることが大優先だったため、マンションに住むシニアの方のお家まで井戸から汲んだ水を運んだり、避難所を回ってできることをしてはいるものの、自分ひとりでできることの無力さも同時に感じていました。
その後、国の事業で、
被災者のメンタルケアのための
『こころのケアセンター』
が立ち上げられ、院生の時からスタッフとして働くことになりました。
配属は尼崎市。
何ができるのか誰もわからないので、
保健師さんと毎日自転車で避難所、仮設住宅をまわり、とにかく地域の方々と何度も顔を合わせることに努め、ニーズを聞いていきました。
それから2年の間、
毎日の仮設住宅巡回に加え、
定期的に
イベントや講演を企画したり、
特別養護老人ホーム訪問、
おたより配布、
電話相談、
対面カウンセリング、
とにかくできることを探して、
2年目には常勤職員として
予算を立て、関係機関と連携し、
依存性ケアの病院に一週間研修に行かせてもらうなど学びの場もいただき、
さまざまな出会いの中で
たくさんの方に支えられて
無我夢中の毎日でした。
被災者の皆さまの生の言葉を
たくさん聞きました。
その中で心のケアに関するハードルの高さを感じました。
『私は心のケアとか必要ないです』
『みんなも苦しいんだから弱音は吐けないです』
どこにもぶつけられない悲しみや苦しみを自分の中に抑え込むしかない状況に、どんな言葉をかければ良いのかいっぱい考えました。
その結果、こういう状況下では言葉ではなく、とにかく行動なのだとわかりました。
私たちが何ができる人かを明確にして、
不安の中のひとつずつを丁寧に対応していきました。
生きることが最優先となる大きな災害の下では、私ひとりの力は心のケアなんていうにはほど遠い無力なものでしたが、
継続と集団の力は、人にパワーを与え、
ものすごい影響力を生み出せることを
学びました。
だから、それ以降の災害時には臨床心理士会の電話相談などにも参加しつつ、現場で何が必要かを知るために、できるだけ出向くようにしています。
ひとりではないこと。
それが生きる力を生む。
これからも、
それを伝えていきたいと思います。
昨日起こった噴火による津波、避難中に怪我された方もおられるとのことで心配しております。
引き続き、お気をつけください🙇♀️