阪神淡路大震災から24年が経ちます。


私は当時京都に住んでいました。


友人たちの安否がわかるまで緊張が解けない中、


避難所への巡回ボランティアを経て、


被災者の心のケアのために設置された

《こころのケアセンター》で

開設時から2年間勤務しました。


スタッフは公募で、臨床心理士、精神保健福祉相談員、看護師など約40名が兵庫県下の区や市に配置されました。


私は尼崎市配属に。


日本の自然災害後のメンタルヘルス活動としては、全く前例のない事業だったため、

大学院で学んだカウンセリングの手法だけでは全く役に立たないことを思い知りました。


23歳の私が心理職として何ができるかわからないけど、


状況を見る、聞きに行くことはできる。

ニーズをつなぐことはできる。


2年間毎日被災地を自転車で走って、

とにかく待つのではなく、

とにかく会いに行きました。


報道されない痛ましい出来事もたくさんありました。


やり場のない想いの中で一日一日を過ごされている方々に、少しでも役に立つことは何だろう何だろうといっぱい考えました。


結局、私の方が地域の方にかわいがってもらい、子供たちのパワーに助けられ、たくさんのことを学ばせていただきました。


日本における心のケアに対する難しさ、

この時の経験が、

今の会社の理念を作ったと思います。


被災者の心の痛みは

消えることはありません。


私もずっと忘れることのない1月17日。


被災者の皆さまの心に

穏やかな時間が増えますことを

祈っております。


http://www.j-hits.org/hanshin_awaji/kokoro_h_a/index.html