人はなぜ恋をするのか? | タロットの煌めき マルセイユタロット活用術

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伝統的なマルセイユタロットを使っての、自分と人のために活かせる知識と方法をお伝えしています。

今日、ふと浮かんだカードは「恋人」でした。

 

そこから、「人はなぜ恋をするのか?」というテーマも出てきました。

 

おそらく古今東西、詩人、作家、哲学者のような方から一般の恋で悩む市井の人々まで、多くの人が考えたテーマなことでしょう。

 

ところで、マルセイユタロットの大アルカナは、合計22枚であることと、「愚者」がほかのカードとは異色(数を持たないカード)であることから、「愚者」とその他のカード21枚を3段7列で分ける方法が知られています。なお、この区分による図は、カモワン流では「タロットマンダラ」と名付けているくらいの重要な絵図ではあります。

 

3段7列が基本ですから、カードたちは、7の数をもとに3枚ずつ関係していくことになります。そして、こうした図では、「恋人」カードの場合、「名前のない13(以降「13」と略)、「審判」と関係し合うことになります。

 

 

  

CBD Tarot de Marseille by Dr. Yoav Ben-Dov, www.cbdtarot.com

 

 

さきほどの「人はなぜ恋をするのか?」というテーマですが、と言えば、マルセイユタロットでは「恋人」カードが、もっともそれを表すカードだと言えますが、同時に、「13」と「審判」も恋に関係すると見ることで、このテーマに、面白い回答を導くことができるように思います。

 

ただ、あくまで、マルセイユタロットを通じて出てきた、ひとつの仮説に過ぎませんから、「ふーん、そんな考えもあるのね」みたいに受け取っていただければと思います。

 

さて、「人はなぜ恋をするのか?」について、ずばり結論から言いますと、なんか月並みですが、「愛を知るため」と答えておきましょう。

 

この場合の「愛」は、宗教的な意味合いで言われる「愛」に近い、まさに神の愛というようなものです。愛にも次元や範囲、対象の違いがあると考えられ、それらによって愛のイメージ・種類も変わってくるように感じます。

 

しかし、そのような種類の違う愛でも、最後にはひとつひとつが統合され、大きな愛に昇華されていくでしょう。

 

いわゆる小さな愛とか、エゴ的な愛というものは、大きな愛に至るための過程に過ぎず、過程であるからこそ、色々な道や方法があり、人によって異なる道程も歩む(体験する)と考えられます。

 

そして、小さな愛のひとつには「恋」というものがあり、「恋人」カードが示すように、それは地上的には男女間、あるいは自分とは違う魅力を持った存在に恋をするという現象になります。

 

恋は、ほかの地上的現象と同じく、能動と受動(的行為)でできており、日本語では、時にそれが「愛する者」と「愛される者」と表現されるように、(恋が)「愛」で語られることもあります。

 

恋愛で相思相愛(中)であると、最高の境地(幸せ)に浸れるかもしれませんが、片思いや失恋、思われたくない人から恋されるなどの場合、不幸であり、苦痛や悲しみ、恐怖でもあります。

 

このように、恋は、人にとって、幸福と不幸の極致を味わわせる現象とも言えましょう。

 

また、恋をしようとしても、自由意志でできるものでもなく、また、相手とか、何かしら対象が必要です。従って、自分一人で勝手に、例えば勉強のように、計画的にできるものではありません。

 

そうした自分でコントロールできない状況や、不確かなもの、対象が必要ということを、マルセイユタロットの「恋人」カードでは、主に上空(天上性)の天使(キューピッド)で表し、人間の予測を超えたものとして描かれています。

 

キューピッドは矢をつがえていて、一般的な話では、矢が当たったものと恋をする(つまり縁を取り持つ)ことになりますが、別の話では、縁を切るための矢でもあると聞きます。

 

よい出会いがあり、愛し合う恋人同士になったとしても、人間世界ではやがて死を迎えますので、結局、二人は別れること(別離)が運命づけられています。まさにキューピッドの矢の例えのごとしです。

 

恋の成就は嬉しく、幸せなものですが、反面、現実世界では成就しない恋も当然ありますし、熱が冷めたり、浮気などで別れがありますし、先述したように死での別離は必ずあって、恋の不幸、悲哀が対比されます。

 

「恋人」カードの上次元とも言える「13」は、恋の喪失や別離、苦しみを表すのかもしれず、死も象徴するカードです。

 

しかし、さらにその上の次元とも言える「審判」のカードは、祝福、誕生、復活がイメージされ、死からの再生が「13」から「審判」でセットになっているのがわかります。

 

人の世界は差のある世界で、だからこそ、自分と他人と引き(惹き)合い、恋もしますし、別れもします

 

言ってしまえば、自分と違う存在にあふれている世界だからこそ落差の体験ができ、それが恋の本質(出会いと別れ、一体感と喪失感)でもあるわけです。

 

恋はその引き合いと別離の印象から、人間生活の中でも、なかなかに強烈な体験であり、それがたとえ対象が人ではなかったとしても、自分が熱烈に愛してやまないもの、恋するもの、熱中するものに出会うことは嬉しいことですし、それで人生は輝き、楽しくもあるものです。

 

同時に、それを失う体験、別れる時ということも体験し、大きな喪失感、痛手、落ち込み、怒り、苦しみ、悲しみなど、ネガティブな感情も味わいます。マルセイユタロットのカードで言えば「13」でしょう。

 

しかしながら、おそらく、人は自分が亡くなる瞬間、それらは走馬灯のように巡り、それが喪失感・別離の思いであっても、貴重なものであったことを知り、最終的にすべてが愛の表現であることを悟る(愛を高次に認識する)のではないかと思います。それが「審判」の状態なのかもしれません。

 

※マルセイユタロットが示唆するように、「13」から「審判」の過程は、必ずしも死後の話のことではなく、生きている間への認識を促す意味もあると考えられます。なぜなら、マルセイユタロットは生きている者のために作られているからです。

 

地上では、恋は対象が必要でしたが、次元が上がるにつれて、その対象と同化するようになり、結局は、自分への愛ということがわかるのだと思います。その自分というのも、エゴ的な狭い自我ではなく、広大な宇宙的な自己というものへの認識です。

 

他人への恋から始まり、それが次第に愛になっていき、他人への愛は、実は大きな意味での自分への愛ということに拡大していくわけです。

 

逆に言えば、恋によって、人は自己の認識をどんどん拡大し、恋は愛へと変容し、宇宙大へと自己(の認識)に至る仕組みがあるわけです。

 

だからこそ、人間生活での地上的恋愛(その対象は人だけとは限りません)体験がなされるのだと言えます。

 

いや、実は私たち自身は、恋の本質も、自分が完全性を持つこともわかったうえで、地上ではその記憶を喪失するゲームをし、個々人レベルで、地上的体験によって新たなもの(意識)を創出しているのだとも考えられます。

 

「審判」のカードに描かれている、復活している人の様は、地上で個々人が体験したものすべてを統合した証なのかもしれません。

 

すると、マルセイユタロットの「世界」のカードが表すように、文字通り、また新しい世界(宇宙)を生み出し、人が活動する領域も造られていくのでしょぅ。

 

「恋人」カードの次元からすれば、恋から始まる宇宙の壮大な循環・拡大です。だから、私たちが恋をしている時、そこには宇宙の卵が息づいている(新しい宇宙卵が育っている)と言えましょう。

 

最初に戻りますが、「人はなぜ恋をするのか?」に対して、「愛を知るため」と答えましたが、さらに言えば、(マルセイユタロットから見て)究極的には、宇宙の拡大・成長の意思を人として受け継いでいるため、と回答しておきましょう。