以前にも何回か書いたことがありますが、たとえ他人ために行っているタロットリーディングでも、結局は自分のためになっている仕組みがあります。
今日はそのことについて、今までとは違う角度でふれてみたいと思います。
まず、タロットリーディングを行うにあたり、何もタロットへの知識がないと困ります。もっと言いますと、まともなリーディングはできないと考えたほうがいいでしょう。
ということで、普通は自分の選択したタロットについて、その意味を覚えたり、図の象徴を学んだりするわけです。
どのタロットも簡単なようでいて、その意味の解釈、把握には難しいところがありますが、私の扱っているマルセイユタロットにおいても同様です。
特にマルセイユタロットは一見単純な絵柄なので、人によっては簡単そうに思えるかもしれませんが、実は体系的に膨大なものを内包しています。
逆に言うと、意外にシステマチックなので、順序だってきちんと学んでいけば、理解しやすいタロットであるとも言えます。
とにかくも、タロットの知識を入れるということは、タロットリーディングにおいては不可欠です。
しかながら、知識となりますと、思考が中心の世界です。平たく言えば暗記と、その覚えた内容を頭で思い出したり、あてはめたりするようなものです。
実は、リーディングには、もうひとつの側面、感性的な面も必要です。いわゆる感覚や直感のようなものです。イメージ力や想像力とも関係します。(日本語で同じ創造性ともつながります)
いくらタロットカードの意味を覚えたところで、感性がにぶく、固定化されたままだと、通常を超える感覚の、「ピンと来る」「急に降りてきた」みたいなことがなかなか起きません。(ここではそういう類の気づきが、よいか悪いか、正しいか間違っているかについては、あえて言いません。今回は内容よりも、カードの意味をどう引き出すかのテーマを重視しています)
感性で読むタロットは、意外性を出し、タロットリーダーとクライアントの無意識の部分にアクセスして、タロットの象徴を通し、常識的な意味を超えて出すことがあります。
この常識的な意味を超えることが、重要なことなのです。
それはクライアントやタロットリーダーの常識というのが、タロットへ問いかけているテーマ、問題への思考・認識レベルであり、だからこそ、その問題の解決とか解放とかが、なかなか思いつかない(自分ではわからないから質問している)わけです。
言い換えれば、問題と同じレベルでは、せいぜい、これまでの自分の知識範囲での対応策、常識的解決策しか思いつかず、それではらちが明かないからタロットに聞いているのです。
ここに感性、感覚的なものが有効に働けば、本人たちの常識的世界観を壊すことができ、ある種の別の領域からの情報をもたらせることが可能になります。
ということで、タロットリーディングは、きちんと学び、積み重ねられてきた知識・思考的な部分と、それとは違い、感性的な直感とかフィーリング的なものでの情報とが相まって、重層的なタロット展開への解読がなされるのです。
とすると、この二面、言わば、思考と感性というものがどう自分に働くかがカギにもなってきます。
どちらかに過度に比重が傾いていると、それはあまりバランスのよいリーディングになりません。
もっとも、女性性・男性性の、実際の性別とか個人の特質などで、本人のもともとのバランスが、どちらかよりになっていることが普通なので、フィフティフィフティで考えなくてもよいです。感性重視の人(一般的には女性ですが男性の場合もり)、思考重視の人(一般的には男性ですが女性の場合もあり)の傾向はあるのです。
ですが、タロットリーディングをしていて、どうもうまく読めない、すぐ限界が来てしまう、同じ意味しか出ないというような場合、思考的リーディング(知識的リーディング)か、感性的リーディングに傾き過ぎているきらいがあるかもしれません。
それは、実はタロットリーディングに限らず、普段からの自分の傾向なのです。リーディングがうまく行かないのなら、普段においても、過度などちらかの傾向があって、バランスが悪いということです。
もっと感性を豊かにしないといけない知識型の人もいれば、好き嫌いや、一気に意味をつかみたいと思って、感性中心になり過ぎてしまっているため、逆にコツコツと知識的に学んで行ったり、覚えていること、実践したことを、整理・検証したりする必要がある人もいます。
そして、知識型・思考型偏重の人が、なぜに感性が動かない・働かないのかと言えば、自分の感情に無頓着であったり、間違いをしてはならない(正しくないといけない、正しくないと認められない)といった無意識のルールがあったりするからです。
さらに言えば、そうしなくてはならなかった自分なりの深い理由があります。
反対に、感性偏重の人は、自由であらねばならない(ということは束縛やルールによって縛られていたいう嫌悪感とかトラウマがある)といった強い思い込みや、責任を取りたくないといった意識のようなものが隠されているケースが見られます。
タロットリーディングという行為を通して、見えて来る自分の姿とでも言いましょうか。(苦笑)
でも、ここも重要ですが、そんな自分に気づいても、自己否定、自分にダメだしをしないことです。
そんな自分がダメ、間違いだととらえてしまうと、かえって逆効果です。
そもそも、どちらにおいても、自分への錯覚から出ていることなので、錯覚をジャッジしても意味はないからです。
ですから、自分の傾きに気づいたら、その良し悪しを判断せず、ただ気づく(認識する)だけでいいということです。
認識すれば、ひとつの「檻」「柵」を自覚したことになりますから、そこからすでに出ているに等しいのです。
ただ長年の癖なので、いつの間にかまた檻に入ってしまうことは何度もあるでしょうが、出たり入ったりしながらも、気づきが増せば、やがて本当に出られることになるでしょう。
それ(柵)は、逆から見れば、自分自身を守っていた安全弁・保護壁なのです。それがもう必要としない自分になるのです。
これはまた形の違うグノーシスと言えます。