タロットの煌めき マルセイユタロット活用術

タロットの煌めき マルセイユタロット活用術

伝統的なマルセイユタロットを使っての、自分と人のために活かせる知識と方法をお伝えしています。

私たちは自分自身がどんな状態なのかを、実は自分ではわからないことが多いです。

 

これ(自分を知ること)については、様々な意見があるとは思います。

 

じっくり内観や瞑想していけば、自分のことはわかるという人もいれば、反対に、自分のことは絶対に自分でわからないようにできていると主張する方もいます。

 

どちらであれ、自分自身のことがたちまちすぐわかる、というわけではなさそうです。

 

それでも、もっと単純に、鏡を見れば自分の姿・形はわかると思われますが、これはあくまで鏡に映った姿であり、本当の自分ではないところもあります。

 

とは言え、自分を知る、自分を見るということでは、鏡を見れば、自らを認識する手助けにはなります。

 

では、これと似たようなこととして、もし他人を鏡として観れば、自分のことはわかるのではないかという説があります。

 

このこと(他人は自分の鏡)は、もう常識的には使われますよね。

 

ただ、やっかいなのは、そのまま自分(の状態)を、他人が映しだしているわけではないという部分です。

 

例えば、自分が否定したり、こだわっていたりする観念の逆の人を、自分が見る他人が表現しているということもあります。

 

時間に遅れてはならない、人に迷惑をかけてはならないという信念のようなものを強く抱いている人は、身近に、真逆のような人、時間にルーズで無責任な人を見ることが増える場合があります。

 

これなど、反転した構造として、自分のこだわりとか状態を見せられているわけです。

 

自分の思いがいいか悪いかの社会的価値判断はおいておきまして、とにかく、このようにいろいろな形で、他人や周囲のものから、自分自身の状態を知ることは可能です。しかし、それは単純な写し鏡のようなものではないところが鍵です。

 

そいう中でもパターンというものがあり、ある程度自分と他人が鏡構造(その鏡がそのままの時もあれば、逆さまになっていたり、ある色がついていたりするようなことがある)になっている仕組みを理解すると、普通はわからない、潜在意識にあるような自分の思いも、自分自身である程度つかめることがあります。

 

少なくとも、自分一人だけで自分を知ろうとするよりは、簡単だと思います。

 

私自身は、自分一人で自分を知ることは、この現実世界では不可能という立場を取っており、それゆえに、自分以外のものを利用することが望ましいと考えています。

 

先述のように、他人や周囲の出来事から察していくという方法もよいですし、象徴システムが整っている(きちんと象徴が体系的に整理された概念がある)ツールを使うのもいいと思います。

 

後者に当たるのが、マルセイユタロットということになります。タロットは象徴の絵で、人の隠れた思い、心のパターン、無意識層のことも表に出してくれるからです。

 

タロットは数ありますが、精緻な象徴システムにあるマルセイユタロットならば、大いにその利用価値はあるでしょう。

 

ところが、マルセイユタロットであっても、これもまた自分一人でやろうとしても、自分のことはわかりづらいのです。

 

いわゆる自己リーディングというものの難しさです。

 

しかし、何も道具やツールがないよりかは、はるかにましです。

 

これは客観性があればあるほど、自分のことがかえってわかりやすくなるという理由にあり、従って、タロットで自分(の状態・課題等)を知るということに関しては、自分一人でタロットを展開して読むよりも、別の方法や技術が必要となってきます。

 

一番よい客観性を入れる方法は、他人にリーディングしてもらうことです。

 

たとえ自分がそのタロットのこと学んでいても、あえて同じタロットをやっている方に、リーディングしてもらうほうが客観的に答えてくれます。

 

それは読む方と読まれる方と二元構造になっていて、単純にタロットリーダーにとっては、まさに他人事なので、客観的に読めるわけです。

 

二元構造は分離ですが、利点としては分析(分けているため)できるということがあり、そこが冷静に見られる(読める)ことの理由にもなっています。

 

自分一人では主客一致してしまい、感情としての一元的なもの(感情は分離よりもひとつのもの)がメインになって、そのために極端に悲観的とか楽観的とか、傾いたままのひとつとしてタロットを読み勝ちになります。

 

整理しますと、自分(の内面や、わかりづらくなっている自分の状態)を知るための方法として、タロットなしの自分内観→タロットありの自己リーディング→タロットを学習済みの他人による自分へのタロットリーディングという順番で、客観性が担保でき、自分のことが明らかにしやすいと言えましょう。

 

そういう意味でも、タロットを学ぶ際、学習グループのようなものが用意されているところは、そこで仲間によって、自分のことをリーディングしてもらうということができ、効果的と言えます。

 

しかもそのようなところは、一人だけではなく、何人かの方から意見とか見方を提示してもらえる可能性があり、より客観性が増して、自分では気がつけなかったところを多く指摘される可能性が高いです。

 

もっとも、実は、客観性を保つ方法としては、何も他人リーディングだけしかないというわけではありません。

 

自分一人であっても、方法によっては、マルセイユタロットを使って自分を知ることは可能です。

 

それには、やはりマルセイユタロットの象徴の意味とシステム・体系を学ぶ必要がありますし、モデル(調和している図)となる世界観を示す全体構造図を把握しておくことが求められます。(これを理解していれば、逆に不調和である自分になった時、その図と照応させることで、わかることがあります)

 

さらに感性も重要で、どのように感じたか、思ったかという、些細なことでも、確実に何か感じている自分をとらえることが、タロットカードを展開した時に大切となります。

 

とにかく、自分を知ることで思うのは、謙虚と素直になることだと思います。

 

わかった風になっていたり(特に知識とか思考の頭て)、この方法が絶対と技法にこだわり過ぎたりせず、まずはやりやすい方法で、子供のように試してみることです。

 

また、自分のことがわからないのは、この世界では当たり前で、むしろそのようにできていると考え、だから一人で悶々と悩まず、わからなければ逆に外を見る(他人や周囲に起きていることを観察する、道具を使う)、さらには人とかモノに助けを求める(他人の力や技術に頼る)ことです。

 

そうすると、自分は他人(世界)が救済してくれると思えると同時に、反転して見れば、自分が他人(世界)を救済しているという構造にも気がついて来て、そういう仕組みだからこそ、本来は自分にも人にも優しい世界なのだとわかってくるでしょう。

 

それをさせないのが、グノーシス的には悪魔の存在で、それは自らが創り上げ、それに同調した社会・世界が強化してきた、幻想の牢獄と言えます。

 

他人や世界が、戦いとか対立とか冷たいとかと思っている限り、あなた自身の内的な世界も競争、戦争、対立、逃避の状態になります。

 

これはすなわち、自分の内的な状態が外の世界をそのように映し出していると見ることもでき、そもそもそれが真相に近いと考えられます。

 

従って、自分の内を知ることは大いに意味があるのです。

 

マルセイユタロットの数は、無意味にふられているわけではなく、整理された意味や法則があります。

 

とはいえ、今回は数秘術的な話ではなく、並びについてがメインです。

 

マルセイユタロットの大アルカナを例にしますと、カードは全部で22枚あり、そのうち、数があてられていないカード、すなわち「愚者」が一枚あるので、都合、21枚の番号のような形で大アルカナは構成されているといえます。

 

このことからも、「愚者」が21枚のカードを順番にたどっていくという発想は、理にかなっていると個人的には思います。

 

また数を番号のように見ていくことが可能なら、その順番的なつながりや関係性にも意味を持つと考えられます。

 

ですから、端的に言えば、数が隣同士のカードは、とても深い関係性があるわけです。

 

ところで、よくスリーカードと言って、三枚のカードを展開して占ったり、リーディングしたりする方法が、タロット界では見られます。

 

三枚という数には当然意味はあるのですが、このことは、今日は詳しくふれません。

 

けれども、二枚より三枚のほうが、より関係性を高度に見たり、構造的に考えたりするのには適していると述べておきます。

 

少しヒント的に書きますと、宇宙・自然のシステムとして、創造・維持・破壊という流れがあり、時系列的に見ても、過去・現在・未来という流れが、私たちの現実的意識を象徴しています。

 

というわけで、三枚でカードを見るというのは、なかなか有意義なところがあるのです。

 

そこで、再び大アルカナに戻ります。

 

もし、タロット、特にマルセイユタロットを持っている方は、数の順番通りにカードを並べてみてくたざい。

 

区切りは7枚ごとをお勧めします。すると3×7(7×3)で21枚になり、「愚者」は例外として、この21の枠からはずれたところに置くとよいでしょう。

 

そこで、並べた一覧を観察し、任意に三枚の連番に注目してみます

 

例えば12の「吊るし」がまず気になって、そこから続く(名前のない)「13」14の「節制」三枚を取り出し、なぜその三枚が気になったのか、三枚の流れとか全体を見て、感じたことがメッセージになるかもしれませんし、今のあなたの状況を示唆している場合もあるでしょう。

 

一覧にして三枚を取り出す方法以外にも、タロットに聴くという感じて、「愚者」を除いた21枚を束にして、トランプシャッフルし、扇型など横に広げて、これも任意のところから、三枚のセットを取り出して引いてみるとよいでしょう。

 

一枚ずつ束から引くと連番になりませんので、連続するように三枚一度に引くか、一枚ずつでも、必ずその隣のカードに移り、連続で引くことがルールとなります。

 

さて、そうして出した三枚、ひとつの読み方としては、人間関係を表している、そのまま過去・現在・未来のような時系列的進行(ただし事実というより、自分が思っている予想や記憶のものでという場合が多い)としてみる、人物の視線を見て、注がれている方向のカードとの関係を特に注視する、三枚全体での共通項を見る、逆に転換とか変化しているカードに注目する、などがあります。

 

別にそうした読み方にこだわらず、ただ感じたままでもよいでしょう。

 

私のマルセイユタロット講座を学んでいる方は、その三枚がどの階層(習った方はわかります)にあるかにも注目すると面白いです。

 

この三枚だけで、問題性やその対処法がわかったり、自分を俯瞰させて楽になったりすることがよくあります。それだけ、順番で隣合うカードには意味があるのです。

 

タロットの数は、進むごとに成長・進化を表していると見ることができます。(ただし、逆方向は衰退とか劣化とか単純に読まないほうがいいです。逆方向にも深い意味があります)

 

ということは、結局、三枚を引くことで、自分がどんな成長過程をたどっているのか、どんな進化が(自分の人生から)求められているのかを、カードとして象徴化して見ていると思ってよいでしょう。

 

「私は成長はなんかしていない」と思って、投げている、嘆いている人もいるかもしれませんが、そんな人ほど、マルセイユタロットの順列三枚引きをしてほしいと思います。

 

どんな人でも、人間で生まれてきた限り、成長を欲し、そしてその通りに願いをかなえようと、世界は働きかけ、調整していく作用があります。

 

だから、成長しないことなんてないのです。

 

ただ、成長への抵抗とか、自分の無意識の働きによる成長への環境づくりなどがあると、表にはわかりにくく、だから止まっている、何も変わっていない、全然よくなっていないと表面(人間の二元意識、いい・悪い、幸不幸などの観点)では思ってしまうのです。

 

マルセイユタロットは、隠れているあなたの意識層を掘り起こし、象徴という絵の形で、表にわかりやすく出してくれます。

 

となれば、マルセイユタロットの数の順番を思い、「愚者」のように一見、愚か者のように見えるかもしれませんが、それくらい心を楽にして、人生という旅を成長する道程として、ただ進めばよいのだとわかってくるのです。

 

21という最後の数の「世界」は「愚者」を待っており、その「世界」から見ると、とても「愚者」は愛おしく、まさしく愛される存在で、そう思うと、「世界」のカードが象徴する、文字通りの世界全体は、本当は優しいのだと感じてくることでしょう。

 

 

前回のコメント企画では、マルセイユタロットに描かれている人物の視線を、向かって右方向のものを取り上げ、あえてポジティブに変化していく未来を見る(想像する)ことで、自分に希望をもたらすという手法を取りました。

 

私はもともと、いわゆるカモワンタロット、カモワン流からマルセイユタロットに入っていますので、そのカモワン流のリーディングメソッドとして、視線の法則というものがあり、これがカード人物の視線先を追っていくという手法につながっています。

 

また、このカモワンタロットの共同制作者で、世界的にはこちらの方のほうが有名な、アレハンドロ・ホドロフスキー氏が読むタロットも、カモワン氏ほどではありませんが、カード人物の視線に注目することがあります。

 

特に、お二人が作ったホドロフスキー・カモワン版マルセイユタロット(日本ではカモワンタロットと呼ばれることが多い)は、人物の視線をはっきりさせている特徴が、他のマルセイユタロットよりも強いので、この視線に注目する読み方は合うものとなっています。

 

逆に、カード人物の視線があやふやなもの、どこに向けて視線を注いでいるのか、いまひとつはきりしないものは、視線を使った読み方はそぐわないかもしれません。

 

ちなみに、ホドロフスキー・カモワン版のマルセイユタロットでは、視線の角度などにも意味があり(基本、タイプ2と呼ばれる精巧なマルセイユタロットのカード人物の視線は、方向性も、角度も意味を持って描かれていることが、幾何学的にも言われています)、細かいリーディングスタイルを取って行くと、視線の先のどの部分まで視線が注がれているのかの、ピンポイントまで見ていくこともあります。

 

リーディングの難しい話はさておき、今日言いたいのは、タロットカードになぞらえていますが、人は(本当は)何を見ているのか?が、実は結構大事だということです。

 

しかも、それ(何を見ているのか)について、自分自身は気づいていないことがよくあるのです。

 

ここで言う「見る」「見ている」というのは、何も実際の目・視覚の視認のことだけを言っているのではありません。

 

いわゆる心の目のような、自分が思っている方向性というのも表します。

 

私も経験したことがありますが、強い心配事とか関心事があった時、今さっき何をしていたのか、これをやったのかどうかわからなくなるなど、記憶が抜けるようなことがありました。

 

まさに、心、ここにあらずの状態です。

 

これは、身体的には、目で作業とか生活で行うことを追っている(見ている)はずなのですが、心の目、つまり自分が強く思っていること、とらわれている事のほうを見ている状態で、目は見ているようで見ていないわけです。

 

例えば、誰かのことを強く思っていると、ほかの人がいても目に入らなかったり、気づかなかったりすることもありますよね。

 

人の視覚というのは、このようにあやふやと言いますか、心に支配されてしまうことがあるわけです。

 

ですから、自分は本当は何を見ているのか?を知る意味は大きいのです。

 

そして、それが現実・現在とは離れてしまっている場合、それは今ここに生きていないことになります。

 

これはネガティブなことだけではなく、とても興奮、高揚するようなことを思っていても、それが囚われのようになっていると、そこに意識が向けられ過ぎているので、どこを見ているかと言えば、囚われているそこであり、今・ここではないわけです。

 

ある程度のことなら、そんなことは誰でもあることで、気にする必要はないかもしれません。

 

ただ、自分が何を本当は見ているのかを知らず、時系列的には過去や未来、そして現在であっても、場所や人としては、ある特定のポイントに心と意識がずっと向いているとしたら、それは大きな自分の分離状態を起こしていることになります。

 

分離は移動や落差からのエネルギー、モチベーションとして機能することもありますが、それが長く続くと、葛藤や対立、不自然さ、停滞のような形となって現れ、現実に問題(偏りの表出)として出ます。

 

内的に分離しているのですから、外側にも争い、対立、不協和、手段と目的の不一致など現れやすくなりますし、自分のほうにも、心や精神の不安定、肉体や健康の問題が起きる、経済的滞り、不足に悩むなどのことが起きるおそれがあります。

 

マルセイユタロットは、自分の内的な状態を、象徴図・絵として見せてくれるものなので、自分を表すカードに視線がある場合、その視線先のカードを見る(引く)ことによって、自分が何を見ているのか(本当の関心、囚われ、心の方向性を含む)、面白いことに視覚的に(自分の目で)確認することができます。
 

ところでマルセイユタロットには、第三の目を持つ存在がいくつか描かれています。

 

この第三の目は、スピリチュアル的な意味とか、覚醒の目とかで言われることもありますが、今回の記事にあてはめるのなら、自分が本当に見ているもの、方向性を知る目と言ってもいいでしょう。

 

先述したように、私たちは肉体的に健康で、右目・左目の両目がきちんと機能していても、心の状態により、盲目に近くなったり、色メガネをかけたような状態だったり、極端に視野が狭くなったりするわけです。

 

そういった肉体の目ではなく、第三の目として(スピリチュアル的な意味ではなく)、心の方向性、囚われ、強く関心を持って思っていること(=心の目の視線方向)を、タロットで確認してみましょうという話なのです。

 

マルセイユタロットには、右や左の視線方向だけではなく、「吊るし」のような逆さまに見ている視線もあり、カードの視線・目に着目すると、興味深いことがわかってくるのです。