日常と非日常、そして違和感 | タロットの煌めき マルセイユタロット活用術

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伝統的なマルセイユタロットを使っての、自分と人のために活かせる知識と方法をお伝えしています。

前の記事では、マルセイユタロットのリーディングにおいて、細かな象徴図を拾い上げていくと、客観的な視点ができて、カード解釈の共通的理解や根拠として役立つことを述べました。

 

この時は、シンボルの共通性を発見することが鍵なわけでしたが、逆に、異質性を見ることも重要であることにふれました。

 

つまりは、展開の中で、明らかに目立つ何らかのことは、タロットからのメッセージ性が強いと見るわけです。

 

このことは、実は、タロットリーディングだけではなく、普段の生活、私たちの人生においても言えることかもしれません。

 

私たちの意識は、毎日繰り返される日常的な意識・通常的感覚と、特別な日とか、気合が入る時など、何か普段とは違う非日常的な意識になる瞬間(長く続く時もあります)があります。

 

非日常性は、文字通り、日常にあらずということで、民俗学的には、ハレ(非日常・特別)とケ(日常・普段)という区別がなされます。

 

ちなみにケの状態が続くとケガレとなり、そこにエネルギーを入れてケに戻す必要があるため、ハレの日があると言われます。いわば、ケ→ケガレ→ハレ→ケという循環・サイクルになっているわけです。

 

農耕生活を主体としていたかつての日本人は、農作業の普段生活の中で、季節の折々にふれて、稲作や畑作の重要な時期に祭り(祭祀)・儀式を行うことで、ハレの日を作り出していました。まあ、意識していたというより、習慣化していたと言ったほうがいいかもしれません。

 

しかし、私たち現代人の生活は、農作業が中心ではなくなりましたので、きちんとしたサイクル・リズムができないのが普通となりました。また季節とか自然の流れも無視して、昼も夜も、夏も冬も、服装とかは違っても、ほぼ同じように(特段の区別なく)毎日を過ごしています。

 

これでは、自然と乖離していくのも、そしてケガレ状態、あるいはハレ状態が日常的になるのも仕方ないのかもしれません。

 

ですから、今の人たちほど、昔よりも、意識的にサイクルを作り、日常と非日常、聖と俗などの時空を設定(区別)しておいたほうがいいと言えます。

 

パワースポットブームなど、神社・仏閣・聖地などを訪れる人が増えましたが、これも日常におけるエネルギーの消耗・枯渇、混乱が多くなっていて、そういうパワースポットに行くことで非日常性にふれ、リセットしたいという欲求が、ひとつには働いていると想像されます。

 

そして、タロットを扱うということは、非日常や聖なるものとつながる時間・空間を持つことを意味し、それをうまく使いこなすことで、乱れたリズム・サイクルを整わせることができます。

 

ただ逆に、タロットばかりの時空に行き過ぎると、逃避的・厭世的な感じにもなって、非現実的な感覚が強まりますので、それはそれで注意が必要です。

 

さて、こういったこととは別に、日常性と非日常性とで重要なのは、普段の生活の中で突如出現する異質性です。

 

言い換えれば、それはシンクロニシティ体験であったり、何か言葉では表しにくい違和感のようなものとして現れます。

 

シンクロニシティの場合は、偶然であるのに必然のように感じる出来事で、明らかに意味があるように思える繰り返しとか、タイミングの良さでの現象と言えます。

 

どちらかと言えば、関係性があることが連鎖するみたいな、共通的な事柄が意味あるかのように繰り返されることが多いかもしれません。

 

それとは別に、どこか違和感を自分は覚える、いつもと違う・・・というもので感じられる現象があります。

 

シンクロは比較的テーマとして取り上げられることも多いですが、違和感そのものについては、あまり言及されていません。しかし、違和感も、ひとつの非日常的なメッセージだと言え、意外に放置できない重要なものがあると考えられます。

 

「違和感」というように、「感」の字があるので、感覚的なものとしてとらえられることが多いでしょうが、思考・論理においてもそれはあり得ます。

 

感覚の場合、ハートや心というものもあれば、体そのものの違和感ということで感じるものもあるでしょう。

 

心理的にも、体の違和感は、たいていは心と結びついており、違和感の場所によって、ある程度、問題性のパターン(怒りとか不安とか恐怖とかを示すものと)も言われています。

 

そして、思考の違和感も大事で、つまりは、「この考えはおかしいんじゃない?」と思うような感覚です。

 

仕事とかビジネスにおいても、ある人から「この方法が正しい」とか「これでやると結果が出せる」と言われても、自分にとっては、そのやり方に違和感がある場合もあります。

 

また、人数的には多くの人が述べている(信じている)主張であっても、やはりおかしいのでは?と自分は思えるケースもあります。昨今の流行りの陰謀論など、そういう傾向があるかもしれません。

 

いずれにしろ、違和感を覚えたということは、オートマチックに働く日常性や、自身の安定・安心・共感とは異なる何かがあったことを意味します。

 

よいにしても悪いにしても、注意信号であるのは確かです。

 

違和感を放置しておくと、あとでとんだしっぺ返しと言いますか、その正体が大きな問題となって出現することがあります。大病になる前の警告だったのに、放置していたから入院・手術することになった・・・みたいなものです。

 

しかし逆に、違和感を気にし過ぎていたら、それこそ、ささいな違和感を拾い上げようとすれば、いくらでも出てくるのが人間ですから、神経症的・ノイローゼ状態にもなりかねません。

 

ですから、違和感を放置するのも問題ですが、違和感のパターンとか大きさを、自分なりに把握しておくことも重要かと思います。

 

違和感も、実は、当然ですが個人差があり、というより、ほぼ個人的なもの(感覚)なので、自分なりのコントロールが可能です。

 

違和感というメッセージの発信の、自分なりのパターンを観察し、理解するようにするということでしょうか。

 

やばい違和感(笑)と、そうでもない違和感、ネガティブな警告の意味の違和感、自分の意固地さ、柔軟性のなさを示す違和感など、いろいろと違和感(の意味)にも種類があるわけです。

 

大きく分けて二種類、このままでは危険だよ、おかしいよとホイッスルを鳴らすかのような違和感と、逆に、そのままでいいのかい? もっとできるはずだよとか、もっと勇気を出して、チャレンジしてとかの意味の応援的、創造的(それは旧の自分の破壊でもあります)な違和感があると考えられます。

 

どちらであるかは、最初はわかりにくいかもしれません。

 

違和感にもシンクロがありますから、それによって判断できる場合もあるでしょう。ただ、どちらにしても、そのままの自分では問題だということです。何か対処する必要があるのです。

 

それでも、違和感の意味がそもそもわかりにくい場合もあります。ですから、タロットようなものがあれば、それは理解の助けになります。

 

タロットの出方によって、それが自分を守るための違和感なのか、壊す(改革)のための違和感なのかが、比較的はっきりするでしょう。

 

個人的には、違和感は、意外にも天使の象徴図で表せるとも考えています。

 

例えば、タロットの天使の図像の出方がどうかを確認することによって、違和感の正体と対処法が見えてくるということです。

 

象徴というのは、このように、見えないものやわかりにくいものを、見えやすい形にしてくれるものなのです。