闘病中の嫁。
排泄の調整が
うまくいかなくなってきた。
あんなにも綺麗だった字が
その面影さえなくなってしまった。
もの忘れが
少し進んでる気がする。
そんな変化のひとつひとつに
気付くたびに
僕は落ち込んでしまうけれど
一番不安なのは
嫁自身だろう・・・。
失くしたことを嘆くのではなく
今あるものを
大切にしようと思う。
闘病中の嫁。
排泄の調整が
うまくいかなくなってきた。
あんなにも綺麗だった字が
その面影さえなくなってしまった。
もの忘れが
少し進んでる気がする。
そんな変化のひとつひとつに
気付くたびに
僕は落ち込んでしまうけれど
一番不安なのは
嫁自身だろう・・・。
失くしたことを嘆くのではなく
今あるものを
大切にしようと思う。
宮城への出張。
行きは、思い切って、ALLバスにしてみた(笑)。
これからの長い道のりを考えると、
自分が決めたこととはいえ、気が重い、、、。
そういえば、前回の出張のときも、
やたら不安で仕方なかったけど、
それは嫁のことが心配なのかも知れない。
最近は僕が毎朝朝食を作ってたから、
嫁がしないといけない。
その負担は大丈夫だろうか。
元気だろうか。
何かと心配なのだ。
今夜の夕食は、今朝ハンバーグを作っておいたので、
今日は大丈夫。
朝、気持ち的にも身体的にも
なかなか起きれない嫁。
大丈夫かな。。
嫁は、病気の影響で、
できないことが増えてきた。
精神的にも鬱傾向。
ときどき、子どものような不安げな表情をする。
少しずつ、少しずつ、子どもに帰っていくのを
目にするのは、ショックだけれども、
一方で、愛おしい。可愛いなとも思う。
子どもをおいて、
家を空ける親のような心境なのかも知れない。
あー、これから高速バスだ(><)
いくつもの齢数えて
いくつもの己を知り
いくつもの罪を作った
それでも僕は
こうして生きている
正しくなんてなくていい
間違いでさえかまわない
傷だらけでも生きていける
これが愛しき日々
すべてはいつか
終わりを告げる
儚いからこそ美しく愛おしい
僕は
この愛しき日々を大切に
生きていきたい
とあるマッサージ屋。
店長さんが辞められる。
今日施術して頂きながら
彼女が
数年間積み上げてきたものの
大きさを感じて、じーんとした。
そして、寂しさとともに
涙がじわっと溢れた。
顔にタオルを掛けてたから
セーフだったけど
施術後、タオルをとったとき
僕は顔を合わせられなくて・・
彼女は気付いたかも知れない。
僕は彼女に伝えたかった。
彼女が積み上げてきたことの
素晴らしさを。
僕の感動と
感謝の気持ちを。
彼女の最後の言葉は
僕が仕事で無理しがちなことを
気遣うものだった。
ありがとう。
最後の言葉として選んだのが
互いに
相手を思い遣るものだったなんて・・
寂しいけれど
温かい気持ちになった。
ときどき利用してるマッサージ店。
店長さんが辞められると聞き、慌ててお店に行った。
とっても穏やかで優しい雰囲気がお気に入りだった。
彼女にしかできない唯一無二の施術。
4年間、本当にお疲れ様。そしてありがとう。
もう最後かと思うと、まだ大切なこと、伝えきれてない気がして・・・。
「きっと大丈夫」
変化することって、とても大切なことだと思う。
前に進むのも、変化。
立ち止まるのも、変化。
後ろに進むのも、変化。
変化とは、自分が望んでる方向に進むための、
大切な大切な過程だから。
「きっと、大丈夫」
最後に伝えるとしたら、この言葉。
「きっと、大丈夫」
僕を、お客様を、こんなにも癒して、
満足させてあげられることができるんだから。
どこに行っても、大丈夫。
笑顔で新しいステージに立っている姿が目に浮かびます。
どんなときも、「大丈夫」という祈りを込めて、応援しています。
ありがとう。
だれしも、こころのふるさとがある。
疲れたとき。
泣きだしたいとき。
寂しいとき。
元気がないとき。
そんなとき、
こころのふるさとを思い出す。
こころのふるさとに還りたくなる。
あなたのこころのふるさとは
どんなところですか?
自分だけの
たいせつなたいせつなもの。
人とコミュニケーションしてて、
そんなこころのふるさとの情景を感じられたとき
なんだか嬉しい気持ちになる。
大切にしてね、その場所を。
どんな人も
善人も悪人も
すべての人は
救済される
この思想が好き。
TVで刑務所の特集をやってた。この世に生を受けて、誰も好んで罪を犯したいわけじゃない。
いろんなことが重なって、今に至っている。
頭で分かっていても、そうせずにはいられないときがある。
もはや、罪を犯すことに何のためらいもないこともあるだろう。
ただ、せめて死を迎えるときには、その魂は救済されて欲しい。
そう思うのは、僕自身が罪深い人間だからだ。
僕自身が、自分の悪や罪を知っているから。
近況。
仕事を頑張ることができて。
嫁と娘と息子という家族がいて。
そんな日常がたまらなく愛おしい毎日です。
幸せだなって思います。
嫁が難病になってから
その幸せに気づきました。
嫁が少しずつ身体が動かなくなっていくのが
かなしくて、つらくて。
もしかしたらあと数年の命かも知れないけれど
今日という、美しくて愛おしい1日1日を
大切に大切に
過ごしていきたいです。
笑顔が素敵な人がいた。
「笑顔が素敵ですね」
って伝えようとしたけど、何となくためらった。
僕が素敵だと思ったということは、
彼女と出会った他の人達も、そう思うであろう。
皆に
「素敵ですね」
って言ってもらえることは幸せなことだけど、
一方で、皆の前で、
いつも笑顔でいなければならなくなるかも知れない。
「笑顔が素敵ですね」
と伝えることで、
ホントはしんどい時も、
笑顔を知らず知らずのうちに強要してしまうかも知れない。
そんなことが頭に浮かんだ。
ホントは、
笑顔のときも、
そうじゃないときも、
そのまんまのあなたでいてくれることが、
一番うれしい。
とあるアーティストさんの
学生時代の恩師が
コンサートに来てくれたそうだ。
その先生は、
夏休み前の全校集会で
「お前ら、絶対死ぬなっ!」
って言ったそうで、その時の光景と
言葉が今でも忘れられないという。
知人の高校の頃の先生は
「もし何かあったときは・・」
と、携帯番号を生徒に伝えたそうだ。
卒業後、知人は1度先生に電話した
ことがあるという。
誰かを助けたい、
見守りたい・・
そんな気持ちになったとき、
どうするのがいいのだろう。
とても難しい問題だから、
自問自答の繰り返し。
でも
結局は
自分なりの考えで
自分の思うようにする
しかないのだと思う。
いろんな人がいるからこそ
人は救われる。
「死ぬなよ!」
という強いメッセージが
自分を守ってくれることもあれば、
素直に受け取れないこともある。
当たり前のことを
当たり前に伝えてくれる人が必要なとき。
自分を思って叱ってくれる人が必要なとき。
ただ黙って話を聴いてくれる人が必要なとき。
ずっと傍にいてくれる人が必要なとき。
自分なりの経験でアドバイスしてくれる人が必要なとき。
そのときは受け止められなくても、何年も先になって自分を支えてくれるとき。
そして、他人はあまりにも無力であるとき。
どんな態度が心に響くかは
人によって違うし
同じ人によっても時と場合によって変わってくる。
また、どうあるかということよりも
心の内に秘めた情熱が大切なこともある。
いろんな人がいて
いろんな考え方があって
いろんな伝え方があるからこそ、
誰かが救われるのだと思う。
アーティストさんのツイッターを読んで
そんなことを思った。