先日記事にした《峰入り古道 宝満山から英彦山まで》2時間番組の末尾に6分ほどチラッと
我がふるさと《宝満山》の興味深いエピソードがあったのです。
「峰入り古道」の西の端、宝満山(ほうまんざん)のふもとには、太宰府の街があります。
そしてこの広い空き地は?
★ ナレーション
ここは、かって「遠の朝廷(とおのみかど)」と言われるほど栄えた
太宰府の中心地《太宰府政庁跡》です。
今はもう礎石しか残っていないんですが、
史跡公園として市民の憩いの場になっています。
およそ1300年前に出来た「太宰府政庁」
大陸に対する防衛と外交の拠点でした。
広い敷地ですね。現在は巨大な礎石が点在するだけですが、
この公園から宝満山が見られるそうです。
近郊の山々と重なって見えるので、私的には??ですが
この史跡公園は、私が子供の頃は《都府楼跡》と呼ばれていました。
中学の頃かな?
課外授業で、学校から見学に出かけました。
まだこんなに整然となってなくて、でも一個一個の礎石が
凄~く大きいのには驚きました。
この上に柱が立っていて、1300年前、ここに巨大建築があったんだと実感しました。
さて、そこから見える宝満山は
そうなんだ、宝満山が霊山と呼ばれていたのは、1300年前に太宰府政庁が造られた時、偶然にその北東・鬼門の方角にあったので宝満山が特別な存在になったのでした。
霊山となって、修験者道場となり、かってはお寺や仏像もあったのですね。
平安時代、菅原道真(すがわらのみちざね)公が政争に破れ、この太宰府政庁に左遷されました。
その死後、祟りを恐れた京の指図で、政庁の近くに墓所として築かれたのが太宰府天満宮です。
道真公は、京の屋敷を去る時、庭の梅の花に
東風(こち)吹かば 匂いおこせよ 梅の花
あるじなしとて 春な忘れそ
春になったら 咲いておくれ 梅の花
私がいなくなっても 春を忘れないで
ところが道真公が太宰府政庁の宿舎に着くと、京にあった梅の花が道真公を慕って、一夜にして飛んで来たと言う伝説です。
天満宮の境内に咲くこの梅は、飛梅(とびうめ) と呼ばれて千年以上経った今も、こうして美しい梅の花が咲いてます。
私は子供の頃、この《飛梅》の樹を何回も見ましたが、幹はいかにもずっしりとしていて、本当に千年以上経っているんだな~と信じました。
さて、飛梅にちなんで、もう一つの太宰府天満宮の名物が、梅ヶ枝餅(うめがえもち)です。
番組の中で、アドベンチャー田中さんの案内人をされた方が、こうして太宰府に来たからには
名物の梅ヶ枝餅を食べなきゃ・・・
懐かしいなあ~~
娘が何回か福岡に行った時、お土産で買ってきてくれましたが、
やっぱりこうして出店に腰掛けて、
行きかう行楽客の皆さんを見ながら食べないとね^^
終わります