嘔吐恐怖症は中々理解を得られにくい恐怖症だと思っている。
誰だって吐くことは嫌だろうし、吐いている人を見ることが好きな人はいないだろう。
ただ、私たちは「嫌」なわけではなく、「怖い」のである。
いや、もしかしたら「怖い」という感情が取れたとき、「嫌」という気持ちも出てくるのかもしれない。
けれど今は「怖い」という感情が大きすぎて、嫌だとか汚いとか感じる余裕もないというのが正直なところ。
この感覚は、きっと恐怖症持ちにしかわからない。
私だって他の恐怖症の方の気持ちを100%理解することはできないし、同じ恐怖症の人たち同士だって、人によって微妙に感じ方は違って、全部を理解しあうことは難しいかもしれない。
そういうものだということはわかっているつもりだけれど、どうしても嘔吐恐怖症について、もっときちんと理解してほしいと思うことがある。
私の場合、何より辛いことは「甘え」と言われることだ。
「嘔吐処理は誰だって嫌なのに、自分だけ逃げている」とか「気持ちが弱いからだ」とか「そんなんでこの先(子育てなど)どうするんだ」。とか
こういうのが一番心に来る。
たぶんそれは、私がもう何度も自分自身に投げかけてきた言葉だからだ。
誰かに言われなくても、大切な人を介抱してあげられない自分の無能さに、「吐く」恐怖に人生を縛られてきた弱さに、子を守るべき存在としての母親になる資格のなさに、私が一番私を責めてきた。
どれだけの自己否定と自己嫌悪か。
どうして私はこんなにダメなのだろうと、普通ではないのだろうと自分を責めてきた。
いっそのこと恐怖症だからしかたないと開き直れたら楽だったのに。
嘔吐恐怖症の存在を知るまでは、特に自分のことを異常な人間だと思っていた。
私は嘔吐恐怖症の認知の低さ、理解のされにくさ、否定されることの恐れから、余程近い間柄にならない限り、自分が嘔吐恐怖症であることは隠している。(周囲に余計な気遣いをさせたくないというのもある)
なので、そもそも私の恐怖症について知っている人は少ないのだけれど、理解してくれていると思える人も少ない。
少なくても、そのような存在がいることに感謝なのだが。
まずは夫。私の最大の理解者であり支えであるパートナー。
夫自身は心身ともに健康、ポジティブ思考で精神的に病んだことはない(本人談)
でも他者に対する理解力は抜群で、今日まで、どれほど私を受け止め、支えてきてくれたかわからない。
よく私に「大丈夫だよ」、「この世になんとかならないことはない!」と言ってくれる。
感謝の気持ちでいっぱいである。
そんな夫のことを私は心から尊敬している。(あと夫みたいな人になりたかったとも思っている)
次に妹。幼い頃から不安定な私を側で見てきた妹。苦労もかけたと思うし、思うことも色々あったのではないかと思う。
妹は養護教諭をやっていることもあって、私の抱える弱さにとても理解がある。ありがとう。
妊娠を報告した際には「よく姉ちゃんという人間がその決断に至ったね」と言われた(^^;
よくわかっていらっしゃる。
妹には都度叱咤激励を受けてきた。どっちが姉なんだかと思うこともあるけれど、妹に何かあったら今度は私が力になりたい。
(あと余談だけれど、養護教諭という仕事をしている妹にほんとに私の妹かと思うことがある(^^;すごいよ妹…)
最後に、辞めた職場のカウンセラーの先生。
私は退職するまで、頻繁に職場のカウンセリングに通っていた。
先生と出会って、嘔吐恐怖症以外も含め、大きく私の認識や価値観が変わった。
先生はとてもサバサバした方で、私の恐怖症について「あ~治ることはないよ!」とおっしゃった( ;∀;)
正確には直ぐにはという意味で。また、治すのではなく、上手に付き合っていくものだと。
ずっと治さなければ、どうにかしなければ、と思っていたので、なんだか目から鱗であった。
退職して中々先生に会えなくなってしまったけれど、このつわりを乗り越えたら、とりあえずつわりを越えた報告をしようと思う。
私は早くに父を亡くし、母が女手一つで育ててくれた。
愛情深くて、逞しい、子のことを一番に考えてくれる母親だった。
今も私の体調を心配し、よく電話や支援物資をくれる。
私にとっての母親像とは私の母なのである。
私は母のことを尊敬しているし、とても大切に思っている。
どれだけ感謝しても足りない。
ただ、この恐怖症についての関わりは、母とはあまり上手くいかなかった。
ともに傷つけ合うこともあったと思う。
長くなってしまったので、またどこかの機会で、母とのことについても書いていけたらと思う。
嘔吐恐怖症についての理解は、実の親でも難しい部分がある。
そう思うと、理解されなくて当然くらいに構えていた方がいいのかもしれない。
自分だって、誰かのことを理解してあげられていないことなんて山程あるはず。
もし自分のことを理解してくれる人に出会えたら、むしろそれはとても幸福なことで、心からそのことに、その相手に感謝したい。
嘔吐恐怖症の人に対し、甘えだ、気持ちの問題だ、親になる資格はない、という人は確かに一定数いるけれど、それは恐怖症のことをきちんと知らないから。
もしくは、自分以外の価値観の存在を認めること、理解することが苦手な人だから、なのだと私は思う。
そのことを否定するつもりもないし、ましてや否定する立場でもない。
だってそれだってその人の個性だもの。
ただ少し私とは相容れないだけ。
そして私の恐怖症だって、ある意味個性なのだ。
そう考えると、嘔吐恐怖症を否定する言葉に、一々落ち込む必要はないのかなと思う。
まあ人間だから、わかっていても傷つくことはあるのだけれど。
長くなりましたが、
嘔吐恐怖症で苦しんでいる皆さん、ありのままの自分を受け入れてあげていいと、私は思います。
大丈夫。そんなに否定することはないです。
心の負荷を負いながら、よくここまで生きてきたよね。
欲を言えば、嘔吐恐怖症についての周囲の理解が、今よりもう少し広まったらいいなと思う。
そして少しでも、恐怖症のある方が生きやすい世の中になったら幸せだな。
また私自身、自分の知らない何か別の症状で苦しむ方の理解を深めていけるよう、努力していきたい。