急がば跨げ・コケても跨げ物語 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

 

「急がば回れ」と言うことわざがあり日常的によく使われるが、急いでも急がなくても常に跨ぎ続けて来た。

 

このことわざの語源は琵琶湖にあり、武士が京の都に上る時、海路は早いが比叡おろしという突風で船が転覆する恐れがあるので陸路で迂回するほうが安全・・と言う短歌から出たものだ。

 

安全策か、早いほうを取るか、結局は自らの判断だろう。

野人は回ることではなく跨ぐことで知恵と判断力を磨いて来た。 当然、リスクも負い続けたが失敗から学ぶほうが身に染みて身に付く。 石橋を叩いて渡るのではなく、落ちるかどうか判断して決める。

 

失敗や怪我を恐れて安全策、人に習ったことしか出来なければ、野人の思考は磨かれなかっただろう。

安全策もまた、教訓ではなく失敗から学んだほうが確実で筋金入りになる、森羅万象の護身術として。

 

しかし、誰よりも跨がず、回り道を続けたものがある。

それは学問であり、言葉よりその言葉が持つ物理的な仕組みを重視した。

仕組みがわからなければ「使いこなせない」からだ。

 

それは生命に関する学問であり、世界には理でもって野人を納得させる文献は一切なかったから基礎から組み立てざるを得なかった。

半世紀以上費やしたが、とてつもなく長い回り道だな。

 

十代で、生命に関する現学問は基礎から間違っていると自ら判断したからやれたことであり、判断出来なかったらやってはいなかっただろう。

人が人生の大半を本から学んでいる時に、野人は自然界に身を置いて物理思考と体で学び続けた。

 

お勉強は大嫌いだが、発見と感動の連続で面白いからやり続けた

もう一つの理由は、美味しくて旨くて、食生活がバラ色になったからだな。

どちらかと言えば、食い気と本能が優先した。

その充実感は、コケ過ぎて汗無数に受けた怪我の痛みをはるかに上回った。

 

まあ、回ろうが跨ごうが好きにすればよい。

どちらの道にもリスクは存在する。

 

目の前に立ち塞がる巨大な世界の常識の壁と科学の壁。

壊せば消滅、新たな世界が広がるだろうがリスクも大きく困る人も膨大。

跨ごうにも跨げず、股関節が脱臼するだけだな。

 

野人の判断は、「跨がず、回らず、バイパスを作る」こと。

 

壁の最も薄い部分に適当な穴をあけたその道は、頭も労力も使わず簡単に出来る。 穴・・をかし だな ガーン

近道であり、思考と労力を跨いだ道ひらめき電球

 

その道を通るか通らんかは個々の判断、黙って待てばよい。

皆が通るようになれば壁はあって無きもの、やがて壁として存在しなくなる。

 

この道は最初から世界の誰もが「快適」「最高」と思える道なのだから必ずそうなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

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