30半ば過ぎくらいから布団で寝ない暮らしが20年続いた。
布団やベッドがなかったわけではないが、寝床まで行くのが面倒だった・・と言うより、その気もないのにいきなり「コテ」・・と寝てしまうので、「さあ寝るか」と、あらためて布団へ行く機会がなかったのだ。
では20年間も何処で寝ていたかと言うと、冬も夏も周年炬燵だった。
夏と冬の違いは、電源が入っているかどうかと、毛布があるかないかの違い。
床は畳に炬燵用マットだけだから硬く、枕は20年間座布団の二つ折りだった。
まともにベッドや布団で寝たのは出張した時のホテルだけだ
布団まで行くのが面倒なら・・と、炬燵の横に布団を敷きっぱなしにしてみたが、目覚めれば毎回、布団は横にあり使うことはなかった。
体少しずらせば滑り込めるのだが無駄だった。
ヤマハ時代からだから、鳥羽の自宅でも伊勢の事務所に移ってからも炬燵。
ブリ愚を開始したころこの事務所に移ってからは炬燵の場所がなく、いただいた牛皮ソファーが寝床になった。
イスの向きを変えて横になればソファーだから歩かずに済み楽だった。
炬燵の時から服着たままだから掛け布団は不要で毛布一枚。
パジャマなどの寝具は昔から持っていない。
寝るときに何故着替えるのかが今もよくわからない。
礒や山で野営した時もテントや寝袋は不要、岩の上や砂利にそのまま寝ていた。 太い木の上で寝たこともある。
20年間も布団で寝ずに炬燵とソファーと毛布だけと言う人はたぶんいない。
しかも20年間、施錠もせず窓も閉めず、電気は消さずに明るく、テレビもつけっ放しで音量もそのまま。家だけでなく車に施錠する習慣もなかった。
朝は寒いかテレビがうるさくて目が覚める。
ソファーは普通サイズだから頭が入らず、床なら硬くてたまに節々が痛い。
何故、それでも気にならず、20年も改めようとしなかったのか。 学習能力があれば誰でもこんな暮らしは嫌なはず。
これが今日の問題であり、野人思考回路がよくわかる例題だな。
理由は単純明瞭であり、「さあ・・寝るか」という習慣も準備期間もなかったからだ。
動力が切れたら意志に関係なくバタリ。うるさかろうが明るかろうが床が硬かろうが関係なく熟睡。
睡眠も十分、目覚めてから布団は必要ない。
短時間の分割睡眠でも、後で帳尻を合わせればよい。
過ぎてしまえば起きてしまえばすべては美しい過去
柔らかい布団で寝ればよかった・・などと悔やんだことはない。
最近十年間は仕方なく布団で寝ている。
隣の部屋に敷きっぱなしで夏も冬も同じ、頂き物の高価な羽毛布団。それに敷布団はツルツルスリッパースペシャル
炬燵やソファーとは寝心地が随分違うな。
やれば簡単に出来るが、何で出来たかが重要だな
イスの後ろのソファーが春夏秋冬衣類で埋め尽くされ、寝場所がなくなったからだ。
衣類がまだ少ない5年前は強引に寝て、体が斜めにずり落ちそうになっても野人特有の自動制御装置が働き、足で机を突っ張りながら寝ていたのだが、ある日限界が来てついに床に落ちた。
それで仕方なく、意識もうろうとしながらも布団まで這って行く道を選ばざるを得なかった。
自らを追い込めばこれくらいはやれる。
そのおかげでたまには窓も閉め、施錠する習慣も出来つつある。
なんで・・・ソファーの衣類を片付ける道を選ばなかったのか
そちらのほうが苦労もなく簡単なのに。
そこが・・
野人にもわからない摩訶不思議なところ。
そんな簡単なことが思いつかなかっただけだ。
だからうまく伝わらないのかもな、野人理論・・
2011年頃はまだ スッキリ
2012年 12月 腹の上で寝るんじゃねえ
このバカタレが~ そこに爪立てて遊ぶな 離さんか
2012年 4月 徐々に座る場所が・・
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