卵が先か・・ キジが先か・・ どちらを先に食べるか・・
人類は自然界の謎を解きながら進化して来た。
この世は平地から球体の地球になり、リンゴが落ちる理由もわかった。
自然界から物理・数学が生まれ、科学の進歩に拍車がかかりさらなる進化を続けている。
進化するほど暮らしは楽になるはずだが、そうだろうか。
狩猟採取の放浪生活が、電化製品に囲まれた定住文化生活になったのは機械文明がもたらしたもの。
真空管テレビも電話ボックスも無くなり、プロペラ機はジェット機に。
日々進化を続ける機械文明に「謎」という言葉はあまり聞かない。
謎・ミステリーと名が付くものは大半が遺跡、宇宙、意識、事件などだ。
生命に関しては意識の他に、病不調の主因、説明がつかない動植物の行動などだ。
「不思議、謎、ミステリー、説明が出来ない」
これらの言葉に謎を解く鍵がある。
必ず理由はあるはずだが何故説明が出来ないのか。
これまで積み上げた学問・思考順路で解こうとするから説明出来ないのであり、世界の大勢が何十年かかってもわからなければ、その学問の基盤も思考順路も間違っていると言うことだ。
科学が進むほど宇宙は解明されて行くだろうが、まったく進まないのが生命の世界であり、病人が増え続けているのだから期待とは裏腹に悪化している。 病を封じ込めようとすればさらなる病を生み、病名ばかり増え続けている。
どうすれば現状を変えられるのか、謎も疑問も解けるのか。
野人思考は難しくはない。
人間の思考回路は必ず人間の学問を基点に思考が進むようになっている。 すべてを学問から学ぶのだからそれが当然だろう。
それぞれ個性はあってもベースが既存の学問であることに変わりはない。
この思考の基盤と起点を捨てなければ新たな思考は進まない。
現状・・つまり事実は事実として思考を進めるのが当たり前だが、同じ事実でも自然界と人間界は異なる。
自然界の事実を基点に置かなければ謎は解けない。
習った学問や常識を捨て、自分の目で自然界を見て、自分の頭で思考の起点を作ればよい。
人間界の現状、常識、学問との相違点、疑問を見つけ出せばよい。
例を挙げれば・・・
服も家も暖房もある人類の大半が風邪ひくのが現状なら、「毛皮一枚の猿はなぜ風邪ひかないか」。
猿はじめ動物は裸足で歩き、毎日洗わず清潔でもないのに「何故水虫にならないのか」。
魚介類だけでなく塩分摂りすぎの海鳥や海獣は「何故高血圧にならないのか」
動物は栄養バランスも考えず「数種の食べ物で何故ガンにも他の病気にもならないのか」
「カロリー論が人間以外の動物・魚介類に通用するのか」
「健康の為の適度な運動、トレーニングする動物はいるのか」
「人間より臭いうんこする動物がいるのか」
「草は毎日どのような仕組みで伸びるのか」
植物は重力に逆らって高く水分を吸い上げるが、「誰が何のエネルギーでやっているのか」
「意識・心はどのような形で体の何処にいるのか」
素朴な疑問はいくらでも出て来る。
幼少より半世紀、抱いた疑問はこの数倍に及ぶ。
これらの疑問に明確に答えられる学者などいない。
こんな基本的なことも解明されていないのが学問の現状なのだ。
だからこれらすべてを野人は自力で解明、協生理論として紹介した。
この理論を使えば、「生命に関する謎」の大半は解明出来るだろう。
自然界の事実を事実として素直に受け入れれば「謎」にはならず「当たり前」になる。
その当たり前から人間を見れば当たり前ではないことが多過ぎる。
謎とは人間の学問の歪が生み出したものであり、その歪に気付かない限り永遠に謎だな。 自然界より人間界のほうが謎
機械よりも優れた仕組みを有する生物の学問「生物・植物学」は物理ではなく観察・解剖・言葉の世界。
植物動物を作る農学は養殖製造学、自然界の仕組みとは程遠い。
健康学・栄養学は・・人間しか実践出来ず通用しない・・いや、人間にも通用しないのが現状だ。
学問・現状から思考を進めるメリットは、便利で結論が早いこと。
デメリットは、間違っていれば何年経っても結果が出ないこと。
これを前提に現状の学問・常識の判断を各自が下せばよい。
見切りをつけて新たな道を進むなら、野人について来・・
いや・・ 野人エッセイすで自習するのが確実だな。
野人理論を理解する単純なコツ | 野人エッセイす (ameblo.jp)
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