祭囃子と金魚花火 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

 

 

祭囃子に誘われて町内の祭りを久しぶりに拝見した。

祭りなど見るのは何年振りだろうか。

子供の頃は楽しみにしていたが、大人になってからはときめかない。

相変わらず木の実や山菜や猪、海と磯の食べ物には熱中、子供の頃とまったく変わらないのだが・・

 

前の事務所のすぐそば、この事務所のすぐそばで祭りをやっていても足を向けることはなかった。

花火も同じで盛大な花火大会も全く関心がなく、わざわざ行かない。

小学生の頃は神社でもよく遊んだが、今は・・すぐそばの伊勢神宮にも行くことはなく、35年住んで4回・・最後に行ったのは5年前だ。

全国から集まる程の色んな大きな行事も行われていたが見た事がなく、伊勢の神社についても詳しくない。

 

何で祭りや花火などに関心を示さなくなってしまったのか、あらためて考えて見た。

遊び心は全く変わらず、海山の食べ物の関心もまったく衰えていない。

 

思えば・・

郷里の漁村の祭りでもそうだったが、皆が着物姿で盆踊りやっている時小学生の野人は裸で、すぐ横の定期船船着き場で「夜の漁」を毎年やっていた。

つまり、幼馴染がみな体験している盆踊りなど一度もやったことがないのだ。

 

船が着くので水深は4mほどだが、懐中電灯をビニル袋に包んで潜ってサザエを獲ったり魚を突いたりしていた。

さらに、夕方からライトで海面を照らし続けるとアジが集まって来る。

暗くなってから一輪車で網を運び、船を漕いで網入れ、護岸から網を揚げ始めると浴衣姿の友人達が集まって来て手伝い、小アジが大漁クラッカー

大人達は、「お盆に殺生して」と眉をひそめたが何処吹く風・・音譜

 

近くの八幡様のお祭りでも行事には無関心、わた菓子や色んなものを食いまくり、毎年のようにお菓子が当る射的や「粟おこし」が当る相撲賭博に熱中していた。

ハッピ着て重いお神輿など暑くて到底担ぐ気にはなれなかった。

あらためて考えると、狩猟と食い物と賭け事以外は全くと言っていいほど興味がなかったんだな・・

 

大人になってからも似たようなもの、スポーツマンシップもないし、汗を流す運動もしない。

大学時代は仕送りも断り、卒業まで毎月ギャンブルで豊かな生計が立てられた。今は全くやらないが、やった4種類とも完全に勝ち越している。

狩りの本能、物理は狩りだけでなくスポーツや武術、ギャンブルにも応用して結果を出し続けた。

 

まあ賛否両論あるだろうが、人はどうであれお野人は子供の頃から徹底して、本能に忠実に生きて来たということかな・・

野人の思考回路の原点は本能であり、内容は自然界の物理。 この物理論に参考文献もない。

自ら考え、理論を構築、実践し続けた。

常識がどうであれ、先生や親が何を言おうが「野人道」を貫いた。

幸せなことではないかラブラブ

 

久しぶりのお祭りに花火・・

みんな楽しそうだったな。

花火や祭りより、子供達の表情を見ているほうが楽しい。

 

小学生の食糧調達奮戦記

噛みつく大盛アナゴ丼

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野人珍話列伝 魔の海底洞窟ドクロ

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