コメントでの質問について | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは


ブログ開始以来、野人エッセイすは飾りも宣伝も前置きもなく、今もいきなり本文から入っている。

開始当初は改行も間合いも絵文字もなく、味も素っけもない難しい理論ばかり、多い時は日に長文を3回も載せていた。

人に読ませると言うよりも溜まり切った数百編の原稿をひたすら無愛想に載せ続けた。


最初は理論の保存が目的だったのだから仕方ないが、これでは読む方はたまらない。

あまり読者のことは考えていなかったな。

 

理論は膨大で本数冊にも及びそうだが、さらに視点を変えて同じ理論を書き続けたのだから、何処に何が書いてあるのかお野人にもさっぱりわからんのだよ。  しかも百近いテーマの半分は物理論。
これでは基本から学ぼうとする人は大変だ。


当然、わかりにくいからコメント、メッセージでの質問も増える。
お野人はあまりコメントに関与しないしメッセージの返信も無愛想。
その時間もないと言えばそうなのだが、答えるにはあまりにも時間がかかり過ぎるからだ。


聞く方は野人なら簡単に答えられそう・・と期待して聞くのだろうが膨大な労力を要する。

内容によっては説明に1日かかりそうな質問もある。

時間があれば答える事もたまにあるが、記事本文よりも長くなり、それでも満足に伝えられない。


何故これほどの温度差があるのか、それは思考の起点から順路まで全く異なるからだ。 

野人思考、理論は完全に独立した理論であり、常識や一般論、習い積み重ねた学問を基盤に質問しても最初から噛みあわない。

つまり、答が出せないどころか質問の矛盾から始めなければならない。


答の出し方が常識とは異なるのだから、理解しようとすれば基本講習を受けに来るしかない、もしくは膨大な公開理論から自力で答えを見つけるしかないのだ。

 

これまで何度か「今の学問は教え方も学び方も間違っている」と断言したが、その学び方だけでなく習慣になった質問の仕方も捨て去らなければ理解は難しい。

今まで積み上げた知識理論に付け加えようとしても組み込めるものではない。


これまでの野人の伝え方、教え方にも問題があったのだろう。

わからないから生じる素朴な質問に答えるのは困難だが、持って行き場のない深刻な病に苦しむ人には答えてあげたい。返信がいつになるかはわからないが今は出来るだけそうしている。



野人理論を理解する簡単なコツ

http://ameblo.jp/muu8/entry-12017126737.html

 


講習での質問は、ブログの質問コメントも含めて「自分が組み立てた思いから生じるわからないこと」ではなく、野人の言葉の理解に徹してもらいたい。

思考起点が異なるのだから回答には相当な労力を要する。

つまり質問自体が最初から理に合っていないものが大半であり、その説明に時間がかかり過ぎるのだ。


対面だと詳細な情報のやりとりで即断出来るが・・
コメントやメッセージでの質問は情報不足、正確な判断も出来ず返信も困難。

その時間もないが答えようもないと言うのが本音だ。



インディペンデント・シンキング

http://ameblo.jp/muu8/entry-11949076742.html

自然が教えてくれること

http://ameblo.jp/rumi-shimizu/entry-12070736673.html

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