東シナ海 新たな旅立ち | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

4年半の間、諏訪の瀬島、硫黄島、屋久島、小浜島、枕崎を転々として、トカラ列島、東シナ海を昼夜船で走り抜けて来た。

ボディーガード、開発、施設、接客、マリンスポーツ、フィッシング、ダイバー、船長など仕事の範囲は広く、常に掛け持ち同時進行だった。

ここまで広域にわたって多様な業務をこなしたのは歴代スタッフでは野人しかいない。

 

大学卒業後、一旦日本を捨てて海外へ渡ろうとした野人を引き止め強引にヤマハへ入社させたのは社長の川上源一じいさん。

東シナ海行きを命じたのもじいさんだが、野人を呼び寄せたのは知覧の「彼等」だった。

 

 

今回、やっと知覧の特攻拠点にたどりついた。

当時は全く考えた事もなく結びつかなかったが、今回の旅でやっとそれがわかった。

見慣れた景色、硫黄島、枕崎、開聞岳、長崎鼻灯台、そのすぐ近くに知覧の特攻基地があるとは今回車で走るまで全く知らなかった。

海図はいやと言うほど見たが、陸地の中の位置関係はまったくわからなかった。

 

知覧に最も近い枕崎を基地にしていた頃に気付くべきだったのだろうが、意識したこともない。

当時は26歳、彼らの意志を継いだ17歳の誓いから10年近く経っていたが彼らに報告出来るものは何一つなく、記憶からも遠のいていた。

野人の人生を変えた一冊の本、遺書を書いた特攻の最大拠点が知覧であることすら知らなかった。

 

今回の旅から帰り、知覧特攻平和会館のHPを見てやっとそれがわかった。

彼らの遺書は野人の人生を変えたが、それ以来特攻に関するものには一切目を通せなかったのだ。

 

特攻の期間は終戦前の数カ月、目的は本土防衛でその海域は沖縄までの東シナ海・・

出撃は九州、台湾が中心で、特攻戦死者1036名の半数近くは知覧から出撃・・

 

彼らが散った海域を走り回っていたことにまったく気付かなかった。

大和の沈没地点に最も近い位置にいたことに気付いたのは数年前、大和の映画上映がきっかけだが映画は見なかった。

その時もまた大和と特攻は結びつかなかった。

 

当時、定期船、貨物船以外の不定期航路でこの海域を隅々まで無尽に走り回ったのは野人一人・・

東シナ海の4島で暮らし枕崎、屋久島を母港とした船長もいない。

硫黄島、屋久島、無人島を含む秘境トカラ列島すべてを潜り尽くしたダイバーも野人しかいない。

毎月のようにセスナやアイランダーで島々から鹿児島の間を飛んでいたから小型プロペラ機での滞空時間は4年間で100時間は超える。

船は開聞岳を目標に走り、飛行機は開聞岳と知覧上空を飛び続けた。

 

野人は最も・・彼らの近くにいたのだ。

空も海も海中も陸も全て含めて、何年間も・・

彼らは17歳の約束を覚えていた。

だから東シナ海に呼び寄せた。

今回の旅がなければそれを知ることはなかった。

彼らは野人の一挙一動すべてを見て感じていた。

今も変わらず・・

 

数えきれない程の危機を自力で切り抜けて来たと思っていたが、どうしても割り切れない不可解なことも幾つかある。 彼らが力を貸してくれたのを悟った。

 

今回もまた鈍い野人を彼らは呼び寄せた。

以前と違って彼らの拠点まで。

青隆寺経由、これがなければ絶対に行くことはなく、前日に開聞岳枕崎を車で回っても側を素通りしている。青龍が知覧まで導いてくれた。

 

写真や出撃前の寝床を見て胸が熱くなり・・

帰りかけた車中では急に・・大勢が空から降りて来て 周囲を取り囲んで見送ってくれた。

疲れ果てた野人を不憫に思い、常に共に在ることを最後に伝えたかったのだろう。

「わかったからもういい」と言っても次々に・・

車中で・・泣けた。
 

初心忘れず これからも彼らと共に

 

諏訪瀬島 ヤマハ私設飛行場 24歳

この飛行場に1年間寝泊りしていた

大和沈没地点に近い島

・・・・・
社長専用機のパイロットは高齢で元予科練生

野人と同じ下駄ばきサングラス 優雅な男だった

目撃情報から 墜落地点はコースから外れた大和の沈没海域近く 

1人で・・今も行方不明 事故か故意かも不明

最後は仲間の元へ帰りたかったのだ

当時は理由がわからなかったが やっとわかった

彼らと共に野人を見送ってくれた

 

もう一人元予科練生がいた

川上源一は2人も元予科練生を側に抱えていた

パイロット同様に川上社長が信頼する船舶課の顧問

高齢だが元は海技免状の講師

野人の理解者でもあり常に野人を守ろうとしていた

しかし 何をやっても笑いながら許してくれた

限りなく優しいが腹は据わっていた

野人が検挙された時も山川海上保安署まで身受けに・・父を知らない野人には父のような存在

後年 植物人間になった時 浜松の病院へ行った

こんな姿になって・・と 野人は小学生以来の号泣

今回泣けたのはその時以来

ブログにも幾度か登場している

 

遭難 春の嵐

http://ameblo.jp/muu8/entry-10086283185.html

風をよむ2 理論と本能

http://ameblo.jp/muu8/entry-10377666941.html

 

日本列島最後の秘境 ガジャ島

http://ameblo.jp/muu8/entry-10088011918.html

硫黄島で俊寛 中村勘三郎

http://ameblo.jp/muu8/entry-10691159571.html