心理学 心の理とは? | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

字の如く心理とは心の理と書く。

中身はともかく、体を指揮する心が存在するならその物理的な仕組みは必ずある。

生き物全てに共通する仕組みはともかく、心の中は千差万別、自由な心に理などあるはずもない。

共通した構造や仕組みには触れず、心の中に理を持ち込み「心理学」とするのは無理がある気もする。

心理学をやればやるほど「人間の心なんてそう簡単にわからない」と思うようになるらしいが、それなら最初から「心情統計学」としたほうが良さそうだが・・


依頼があれば野人の「心理学」も説くが、一般的な心理学とはまったく異なり中身の心情には一切触れない。

理とは理論、理論とは道理を論ずるものであり、はっきりとした答えを出す物理。


人の思いとは偶然ではなく、必ず現実の出来事から生まれる。

感じ方はそれぞれ違うだろうがベースは同じ「現実」。

明確な道理を持つ常識は別にして、同じ思考の基準が集まったものも「常識」であり、それに対する思いも微妙に異なる。

どのように行動するかは個々の判断次第。


現実の出来事によって心は動き、それぞれの思いが心を育てる。

美的感覚や音感は異なっても、理に個人差はない。

個人差があるならそれは受信機の違いであり、正誤ははっきりしている。


心、感性は現実の出来事によって育まれ、さらに現実の行動の指標になる。

理の受信の間違いは感性をも狂わせ、進路を間違えることになりかねない。


それは航海にも仕事にも対人関係にも当てはまる。

洗剤や食の常識は、この事が招いた代表的な悲劇と言える。

理を誤れば結果は必ず身に降りかかる。

そこに気付けばよいのだが、気付かないことのほうが多い。

聞いて、読んで覚えるという「学びの姿勢」に問題がある。


命にも関わる大事な判断を、常識任せ、人任せ、言葉任せにせず、自らの思考で理を最初から順に追えば簡単にわかることなのだが・・

人は手っ取り早く答えだけを求め、道を跨ぎ過ぎる。人生は自らの判断にかかっている。



理屈と屁理屈

http://ameblo.jp/muu8/entry-11372350612.html

心理と物理は同じもの1

http://ameblo.jp/muu8/entry-11650505670.html

心理と物理は同じもの2

http://ameblo.jp/muu8/entry-11650847543.html