入浴剤や歯磨き粉やうがい薬など動物の体の防御システムを完全に破壊する外敵要因は別にして、健康を害する原因は食にあると感じている人が大半だろう。
病の原因が食にあるなら自然界に生きる彼らと同じように食べて見れば答えが出る。
「あれもこれも考えられる」「考え方は人それぞれ」「出来るだけ」など、使うのは個々の自由だが都合のよい人間独特の前向き言葉であり、はっきりした答えを持つ森羅万象の物理とはほど遠い。
「生活習慣」が原因などと、何とも便利な言葉だがこれほどあやふやなものもなく、生活スタイルも食材も運動量も世界各地でそれぞれ異なり、その時代によっても大きく異なる。
「生活習慣病」と言うばかげた病名は原因を究明出来ない苦肉の策であり、人間のプライドが生み出した病名とも言える。
運動不足が原因などと矛盾した道理もなく、ストレッチやジョギングをやる動物もいない。
狩りに体力を費やす古代の男と朝から晩まで働く現代の男、今の方が体力を使っている。
家事と育児に専念する女性は今も古代も変わらない。
むしろ男と同じように働いているのだから運動量は多い。
「規則正しい食生活」「バランスの良い食事」「よく噛んでゆっくり食べる」も同様で、理もなければそのような食事が摂れた人類の歴史もないし、それを実践する動物も他には存在しない。
エサが見つからなければ耐えるしかなく、体もそのように進化して来た。
そう唱えるのであれば、地球上で人間だけが何故そうする必要があるのか、明確な道理を示せば良いのだが、ないものは示せない。
エサが獲れた時に食い溜めする、十分なら食べたい時に食べる、体の仕組みはそのようになっているし脂肪は燃料の備蓄に必要なもの、脂肪なくして自然界では生き残れない。
これまで、洗剤、健康法、食生活、オーガニックやマクロビなど多くの物理的矛盾を指摘、バッサリ切り捨てて来たが、それを広めた人ではなく理の間違いを指摘している。
これらのことは言うのも自由だが聞くのも自由、どちらが悪いと言うものでもない。
しかし間違った手法が広まれば悲惨な結末になることは現状がそれを示している。
罪な事ではあるが、生き物は個々の判断で生きなければならない。
長年それを信じて実践している人の中には、ムー理論を理解はしても心が迷う人もいるだろうが、どうするかは自ら判断すればよいのだ。
聞いて読んでまとめた理論などなく、これまでの人生を通して自ら実践、確立したものだ。
野人は学者でも評論家でもないが、道理に確信を持って書く以上言葉に責任を持っている。
その覚悟がなければこのような「バッサリ」はやらない方がよい。
理論に疑問を感じた世界中の学者、医師、栄養学師やソムリエや官公庁などの専門家、誰が来ても堂々とお相手して理を説く。
実名も顔も所在地も公表しているのだから逃げも隠れも出来ないではないか・・
続く・・
言葉と仕組みの違い1 錯覚
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言葉と仕組みの違い2 生命の仕組み
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言葉と仕組みの違い5 森羅万象の理
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自然のままじゃなく 本能と理
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読者のベジマッキー作画像・・
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