最後の原稿を書き終える | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

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これ・・何年前だったか・・
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地元雑誌、凪の最後の原稿を書き終えた。

三重県のタウン誌だが、洒落たデザインと実用的な内容で全国各地にも購読者が多い。

春夏秋冬年4回発行、連載エッセイ「野人の食卓」も凪創刊と共に丸十二年。

10年が潮時だったが延び延びになってしまった。

当時、このブログと同じ目的で食の本質について書き始めたのだが、今は毎日のように記事を書き、連日数千人の読者が読んでくれている。

「野人エッセイす」のタイトルも、この「野人の食卓」「連載エッセイ」からいただいたもので、読者の期待に引っ張られながら本数十冊に及ぶ理論を残せたことから、その役目を終えたとも言える。

凪の依頼はあくまで「食卓」で、海山川の食材に限られていたからブログのように範囲は広くない。

テーマも編集長が「今回はタコでどうですか~?音譜」と言って来ると、「はいはい~それで~チョキ」と快諾、イカだろうがラッキョだろうが異議申し立てた記憶はあまりないな。

問題は、事前に言われようが前日に言われようが、翌日にはコロリと忘れてしまうことだった。

編集長の苦肉の策は当日の朝、これならすぐに書き始めて2時間かからないから間違いない。

たまに早く出すと「驚愕」されるので大半はこのパターンで推移した。

頭にないものを出すのは困難だが、あれば悩まずうんこのようにスルリと出る。

調べものすることもないから時間もかからない。

ブログも毎日のように長文理論を書いて来たが、読者が思うほど大変でもない。

無精野人は書くのも喋るのも好きではない。

好きではないが嫌いでもなく、必要とあらば苦にもならない。

それは、講演、講義で6時間連続して喋ろうが問題もない。

野人は無趣味人間、釣りも潜水漁も、川や山の食材、水泳や武術についても趣味ではなく生きる為に必要だから本能で身についた知識技術だ。

マリンスポーツ全般は仕事、農業は最後までやりたくなかったが必要だから始めた。

スポーツにはまったく闘志が湧かないし本も全く読まなくなった。

あえて趣味を挙げるなら・・ゴロ寝くらいだな。

つまり・・・体は蛋白質だが・・頭は淡白質・・からっぽ・・

書いたり喋ったりするのは本能とは関係がない。

だから食いものの事は明確に覚えているのに、締め切りや講演日などはすぐに忘れ、日程や番地や電話番号や暗証番号などの数字は記憶出来ない。

方程式を解くことと数字を覚えることは別物。

何となく理解出来たかな・・?

理を組み立てるには、対極、陰陽を視野に「中立点」を知り、思考の起点を決めることから始まる。

答えを求めるのに余計な「思い」は妨げになるから、思考回路は淡白質が一番良いのだよ・・

それを・・むー我の境地とも言う。



原稿の締め切り また忘れる

http://ameblo.jp/muu8/entry-10693730633.html


テーマ むーのスイミン愚物語

http://ameblo.jp/muu8/theme-10006878818.html