魂の行方 7 存在の道理 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

魂の行方2で、博士の「死ぬと魂は残らない」という言葉には矛盾があると書いたが、その道理を書くのをすっかり忘れていた。

難しくもなくいたって簡単でこれまでの記事は必要なく誰にでもわかる。


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生を終えて魂が「残らない」と言うことは、生きている時は「あった」と言うことだ。

魂がなければ個性もなく意思もないのだから「ない」と言う人もいないだろう。

「体と共に魂も消滅する」と言うなら、生きている時に何処にどのような形で存在していたのか、それがどのような仕組みで消滅したのか、道理を追って説明すればよい。

肉体は機能を停止し、放って置けば朽ち果て、燃やせば有機は灰になるが、魂がどのように機能を停止するのか、燃えてなくなるのか、その説明が出来なければ道理も何もない。

有機物でなければ死と言う定義もなく燃えるはずもない

「存在」の証明はいまだ科学も及ばず難しいが、「存在しない」と言う証明は道理に矛盾があってもっと難しい。

比較すれば「存在」の可能性の方がはるかに高いと言うことになる。

存在自体は野人の体験からすれば言うまでもないのだが、科学の道理で示せばこのようになる。

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有機物として確認出来ないが、存在するのは間違いなければ未確認飛行物体のようなものだ。

それと同じものが電子であり、人は視認ではなく他の方法で確認、使いこなし文明の中枢にしている。

魂は電子などの微粒子だがこれを「気」とも言う。

電子機器を始めとするすべての機械がこのエネルギーで成り立つように、生き物も同じエネルギーで成り立っている。

機械のハードソフトも電子なら、体も心も電子、宇宙そのものが電子で出来ている。

無機である機械のハードとソフト、有機である肉体と魂である心、双方の違いは、同じ電子だが前者は無尽蔵にある電子、後者はその電子が進化した生命の電子と区別するとわかりやすい。

人は電気治療、磁気治療を使うが、生き物が必要とするものは生命の電子。

それが、生命は生命なくして生きて行けない理由であり、その為に食べるのだ。

無機から有機を生み出すことが出来るの動植物であり科学も及ばない。

動物は植物から、あるいは動物から生命を摂ることで命を繋いでいる。

パンダやコアラやキリンがそうであるように「養分成分」など食品1種類でもかまわない。

栄養バランスなど考えずとも、生命さえ摂れば体はどうにでも対応出来ることを実践している。

 

魂の行方シリーズ、まだまだ終わらないが、こればかり書くわけにもいかない。

続きはまたそのうちに・・・