人にも動物にも心があるように小さな細胞にも仕組みは単純でもそれがある。
細胞はもって生まれた細胞の使命に沿って動き、それ以外の働きは出来ない。
まったく異なる性質を持つ細胞の集合体が意思統一して行動するにはそれ以外の強い意思が必要で、それが存在するからあのような面白い動きが可能になるのだ。
だからアリだって草だって人に比べれば小さいが、明確な意思を持って生きている。
どちらへ進むか、何を食べるかなど細胞に判断は出来ないし、枝をどのように伸ばし花を幾つ咲かせるかも、環境、天候を考慮して、すべての細胞を統率する「意識体」が判断しているのだ。
アリもハチもクモも建築家顔負けの巣を作るし、ビーバーは狂いのない巨大ダムや運河を作る。
生き物は体の大きさや知能の優劣に関係なく心を持ち、心なくして体のコントロールは不可能だ。
細胞が持つ生命力にも及ばない人類の科学は、細胞の意思も、指揮者の意思も、何から構成され、何処から出ているのかなど知るすべもない。
脳もまた蛋白質や脂肪などから出来た細胞の集まりに過ぎず、右脳左脳など、何処がどのような機能を持つかは一般的に知られているのだが、それらは人類共通の機能であり指揮官である個々の「心」については何処でどのようにしているのか解明されていない。
個々の使命は果たしても、脂肪や蛋白質の脳細胞には荷が重すぎて人の心など持てない。
脳に限らず一つの単細胞には異なる全細胞を指揮する力などあるはずもなく、生き物はこの単細胞の集合体なのだ。
この道理から、肉体の仕組みは同じでも個々異なる意思を持つ「心」とは、人体細胞外のものだと言うことがわかる。
脳は脳、心臓は心臓、骨は骨・・と、同じ細胞の集合体である臓器にも使命を果たそうとする単純な意思があるが、心臓の魂の行方にまで話が及ぶと終わらなくなるので省略する。
生まれて死ぬまで使命を果たし続ける体の意思と人の心は生い立ちも役割も運命も異なる。
これらは細胞ではないのだから当然人に見えるはずもない。
見える世界と見えない世界、見えないからと言って指揮官が存在しないはずもない。
見えなくとも「存在する」とはどのようなことか、それは身の回りに幾らでもある。
人の目には見えなくとも顕微鏡で見えるものはたくさんある。
しかし顕微鏡で見えなくとも存在するものは無限大にあり、科学はその存在を認識、使いこなしている。
本題に入る前の前置きが長くなるが、結論を述べるよりもそのほうが順を追ってわかりやすくなる。
次回はこの「存在」について話しながら魂の核心に迫る。
さらに居場所、行方、それからどうなるのか、魂の運命、寿命・・・
そこまで行くと本一冊では収まらずネバーエンディングストーリーになってしまいそうだからリストラしないとな・・・陰陽師は退職したし・・
植物の意識と知恵
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