魂の行方 2 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

以前、世界的に著名らしい医学博士のコメントをニュースで見た。

「死ぬと魂は残らず 何も存在しない」

まあこのように考える人のほうが多いのだろうが物議もかもすだろう。

輪廻転生、前世などの言葉も多く、意味のわからない人のほうが少ない。

そもそもそれらが存在しなければ宗教も成り立たないのだから考慮も必要だ。

天国にも極楽浄土へも行けないとなると都合も悪い。

スピリチァルやヒーリングも大いに流行っている。

テレビを始めとするメディアにも盛んに取り上げられ、あやしいエネルギー商品産業も絶えることはない。

野人はどちらの味方でもないが、最初の博士理論くらいは簡単に覆せる。

科学至上論はやめたほうが良いだろう、自分で判断したものではないからだ。

「非科学的」と言う言葉をよく口にする人達がこれにあたるが、自ら科学に関与せず本や常識で「結論」だけ覚えたものなら単なる受け売りに過ぎず、それを口にするほど未熟さを公表しているようなもの。

自ら仕組みを判断出来ず、読んで、見て、聞いた知識など何の役にも立たない。

科学の歴史を振り返って見ればわかるが、まだ歴史は浅いのだ。

昭和初期の科学は、分野によっては既に時代遅れとされ間違いも多い。

ごく当たり前のことがわかるまで数万年、近代科学らしきものは数百年、それから今に至るまでたった数十年だ。

この数十年の間に間違いと修正を繰り返し目まぐるしく変化している。

百年前の人がついて来られるはずもなく、百年後から見れば今の定説、常識は時代遅れの遺産になるものも多いだろう。

言うなら・・・空の雲のようなものだ。

野人は人類の知恵の賜物である数学物理学など物質的な分野は科学から学び、生命に関する事は自然界から身をもって学んだ。

見えない世界のことでどうしてもわからないことは見えない世界の住人から学べばよい。

この場合、当の本人もよくわからないのだからそのまま真に受けない方が良い。

「何とかの声を聞いた、交信した」と言うのがそれに当たり、そのようなものはいくらでも飛び交っている。

人間界だって何処の誰が言ったか、理に適っているかは自ら判断するのが当たり前。

誰かわからなかったら盲信するのではなく身分証明書を提示してもらい、ウソか本当かは自分で判断しなさいね。

それらは人と違って脳ミソを持たないから仕方ないことだが、つじつまの合わないことをほざいたなら遠慮なく「バカタレ」と言えば良いのだ、たまには「ごめんなさい」と謝って来ることもある。

大半は・・・その、ヒマなバカタレだから無視するかシッシッと追っ払えば良い。

相手が何処のどなたであろうがそれは不動の鉄則だ。

効果的な文句は・・

「こっち・・キシメン~」ではなく・・


「あっちイケメン! ドクロだ。


科学は道端の「葉っぱ一枚の一細胞」にも及ばず、それでは生命の答えなど出せないのも当然だろう。

高校生の頃から要領よく学ぶ相手を判断、役に立たないものや不確かなものは最初から頭に入れず、わからないものは保留、数十年後に答えが出たものも多い。


当然と言えば当然だが、この博士のコメントには大きな盲点がある。

これは常に斜めから、足元から見て弱点を見抜く思考だが、人の足元を見るだけではいけない。



祖母と母のテレパシー

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